物心ついた頃から、両親は仲が悪かった。

共働きで、いつも忙しそうにしていたから、2人が激しくぶつかり合うところは、そんなに見かけたことはない。でも、どうしてだろう。子供は分かってしまう。両親の間に流れる微妙な空気を。

母は父の食事を用意しないことが多かった。一方の父も、母が作ったお弁当を持っていかないことが度々あった。会話は必要最低限、テレビCMでみる家族団らんとは、対極にあるような家庭だった。

原因は明白で、父の酒癖の悪さと経済力のなさ。もっと分かりやすく言うと、酒飲みで仕事をすぐやめるところ。

そんな夫なら、当然仲良くできるはずもない。私が母の立場なら、愛情どころか怨念がわいてきそうだ。

しかし、子供の私は今よりずっと単純だった。

どうしてもっと仲良くしないの?
どうしてケンカするのに結婚したの?
どうして嫌いなのに離婚しないの?

頭の中でグルグルまわるその疑問を、私が両親にぶつけることはなかった。しかし、ぼんやりと私と姉との生活のために、母が結婚生活を続けていることは感じていた。稼ぎが少なくても、ゼロになるよりましである。

お父さんとお母さんってかわいそう。
こんなにそばにいるのに、心が離れて、悲しい2人。

私の両親に対する印象は、大学を卒業して家を出るまで、一貫してそんなものだった。

・・・・

私はアラフォーになり、3児の母となり、夫との結婚生活は13年目に入った。私と夫は、基本的には仲がいい。よく話をするほうだと思うし、できないことはできるほうがやっている。

それでも、ずっと一緒にいるわけだから、当然、ケンカをすることはある。口論することもあるし、反対に口をきかないこともあるし、離婚届をつきつけてやろうかと思うこともあるし、涙が止まらない夜もある。

そんなつらい時、きまって思い出すシーンがある。

・・・・

それは、今から10年くらい前。
長男が2歳、年子で生まれた長女が1歳で、実家に帰っていたときのことだ。当時、私も姉もすでに実家を離れ、母は父と2人暮らしだった。

母・私・子供たちの4人で出かけた帰り道。どういう話の流れだったかはすっかり忘れてしまったが、夫婦についての話題になった。

なにげなく、私は言った。

「夫婦って不思議だね。私が今、この世界で一番リラックスして、自分のままでいられるのって、〇〇(夫の名前)と一緒にいるとき。親やきょうだいのほうが、生まれた時からずっとずっと長く同じ時間を過ごしてるのにね。後から出会って、それまでの家族よりも短い時間を過ごしている人のほうが、落ち着くのってなんでなんだろう」

当時、長女が1歳を迎え、年子育児という怒涛の1年間が終わった頃だった。記憶にないほどの壮絶な1年が終わり、ふと気がつくと、隣にいる夫がなぜだかとても愛しく思えた。そして、自分が心底穏やかな気持ちでいることに気がついた。『この世界中で、この人の隣が一番おちつくなぁ』と、じんわり感じる日々。そのため、つい口から出てしまった、当時の自分の正直な気持ちだった。

しかし、言ったあとで、私は『しまった』と思った。

父と長年、とても良好とはいえない関係だった母。いや、むしろ苦難の日々だったかもしれない。そんな母に『夫婦の絆』みたいなものを、軽々しく口にしたことを後悔した。

すると、母は言った。

「ほんとそうだね。不思議だよね。お母さんもそうだよ」

えっ・・・?

私は驚いた。

お母さんもそうなの?
・・・だって、あんなに仲悪かったのに・・・?

母は穏やかに、静かに続けた。

「不思議だよねぇ、どうしてだろうね、あんなお父さんでもね・・・」

その後、私はなんて返したのだろうか。
恥ずかしながら、全く覚えていないのだ。母の言葉に軽いショックを受けて、少し混乱したことは記憶している。

どうして?
あんなお父さんだよ?
お母さん、しょっちゅう泣いてたよね。
どうして私よりお父さんと一緒のほうが、ありのままでいられるの?

本当は、母に聞いてみたかった。私と姉が出て行って、この会話を交わした時点で約10年。母と父、2人きりで過ごした10年には、一体何があったのだろうか。

しかし、私はなぜだか聞けなかった。とても言葉では言い表すことができない何かが、母と父の間にある気がしたから。そして、それは言葉にしないほうがいい気がしたから。

あんなに仲が悪かった父のことを、安心できる存在だと母に感じさせたもの。その正体を、私もいつか、夫と過ごす日々の中で見つけることができるのだろうか。

・・・・

母との会話から、さらに10年が過ぎようとしている。その間に、父は亡くなり、母は1人暮らしになった。

私は、夫とケンカをする度に、このときのことを思い出す。
そして、『もう無理だ』と思う時、『あの正体に出会うまで、もうちょっと夫婦を続けてみようか』と思うのだ。

母とのあの会話は、私と夫をつなぐ鎖の1つになっているのかもしれない。



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