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もしも学校の教室が水族館の水槽になったら

昨日は子供の小学校の個人面談だった。

わがやの子供達は家で学校のことをほとんど話さない。個人面談のときに、担任の先生から話を聞いて、初めて知ることがほとんどだ。

昨日もそうだった。これが良い話ばかりだといいのだが、そううまくいくはずもなく、大丈夫かなと心配になるようなこともあった。自分のことならいいのにな。子供のことだと何もできずに、胸がしめつけられるように苦しくなるばかりだ。

我が家の子供達は人見知りで、友達関係を築くのが苦手なほうだ。小さい時から見ていて分かる。彼らにとって、学校は必ずしも楽しい場所ではない。むしろいやだなと思いながら登校するほうが多いだろうと思う。正直、「学校行きたくない」「お腹が痛い」「頭が痛い」といつ言われるか、内心ドキドキしている自分がいる。そうなったら「学校休んでいいよ」と言おうと心に決めているけれど、いざ本当に言ってあげられるだろうかと自分が心配だ。

そんなことを考える度に、「学校ってなんなんだろう」と思う。

今年は特にコロナで一斉休校になって、学校の意義を考える機会が多かったのではないだろうか。

私自身、学校という場所は大嫌いだった。閉鎖的で、理不尽で、納得いかないことばかり。理由も聞かされず、意見も言わせてもらえず、先生の指示されたとおりに、何回も何回も運動会の練習をする。自分のせいじゃないのに連帯責任で罰を受ける。

授業で退屈すると、私は妄想して時間をやり過ごした。内容はありもしないことばかりで、たとえば、今すぐこの教室が水族館の水槽みたいに水浸しになったらどうなるかなとか、窓からすごい風が吹いてきて教室で竜巻が起こったらどうなるかなとか、そんな絵本みたいなこと。

それ以外にも、朝、登校するときに、このまま学校に行かないで電車に乗ったら発見されるまでにどこまでいけるかなとか、行った先でどうやって生活しようかとか、今思えばわりと現実的なことまで。もちろん、他の学校の男子に告白されたらどう返事しようかなっていう定番のシーンまで。

私は学校で想像力(妄想力?)を鍛えられたのだろうか?まぁ、わりと今でも妄想は得意だな。それが何かの役に立ったことは、今のところないと思うけど。

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