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かわいいおばあちゃんになりたい

小さい頃、早く大人になりたかった。

きっと大人はかっこいいし、楽しいし、きっときっと自由だから。

もっと具体的にいうと23歳になりたかった。特に意味なんてないけど、十の位が2になるって人生の中では最初に訪れるビッグなことだと思っていたし(10代になるときを感慨深く迎える小学生はいないでしょう、きっと)、そのことに慣れるにはきっと3年くらいかかると思うから。

その年齢が近くなる頃、わたしは早く27歳になりたかった。思っていたより23歳は不自由だったし、窮屈すぎるいろいろなことに窒息死してしまいそうだったから。確証なんて何にもわかんないけど、27歳になったらもっと自由になれるだろう、と思っていた。

実際なってみた27歳は自由だった。一人暮らしもしたし、知らない土地に住んだし、会社もやめたし、旅にも出た。戻ってきてからもまずまず自由に生きている。やっと少し息がしやすくなってきたなと少しほっとした。

小さい頃のわたしには「大人になるって自由だよ」って答えてあげられると思う。多分ここまで来るあいだに結構しんどいこともあるけど、たった今これを書いているわたしはとりあえず自由ではいるよって。

27歳を経験した今、なりたいのはとりあえず32歳だ。これまた何かあるわけでもないけど、きっと今年になって始めたいろいろなことが自分の中でやっとわかりかけてきそうな年齢だから。

早く32歳にならないかなあって思いながら毎日をぼやぼや生きているけど、本当は、本当のところいちばんなりたいのは64歳くらいのおばあちゃんだったりする。

「おばあちゃん」の定義がお年を召した女性なのか、孫がいる女性なのかは自分の中でもまだはっきりしていなくて、そこにわたしの子供なり孫がいるのかもわからないけど(今のところはいてもいなくてもどっちでもいい。小さい子供はすきだけど)とにかく早くおばあちゃんになりたいのだ。

それも「かわいいおばあちゃん」になりたい。

かわいいおばあちゃんってなんだろう。

前に考えていたときのかわいいおばあちゃんの理想の生活はこうだ。

そこそこに早起きして家のことをして、午前中にその辺の子どもたちと戯れて、午後になったら読書して、少しお昼寝して、夕方から書きものの仕事をして、夜になったら読書してそのまま寝る。

でもこれってその辺の子どもたちのことを無視したら、もう、今すぐにでも、たった一人でもやれるのではないかとこの間、はっと気が付いてしまった。

じゃあわたしがなりたい「かわいいおばあちゃん」ってどんな性格なんだろう。

自分の軸はしっかり持ってるけど、歳をとって、経験も重ねて、だけど決して驕らないで、生活の中でにこにこできることをたくさん探して「知らなかった!」って毎日言いたいし、寝るときは「ああ今日も楽しかった」ってベッドに入れるようなおばあちゃんがいいな。

うん、これはきっとかわいいぞ。歳をとると「そんなの知ってるし」って言いたくなると思うんだけど、わたしは毎日「知らなかった!」「勉強になった!」って言いたい。それは無知でいたいというわけではもちろんなくて、毎日にわくわくしていたいから。

でもよく考えたらこれも経験以外のところは今からでもなんとかできそうだ。見た目に関してもワンピースを楽しんだり、グレーの髪色をふわっとさせたら素敵だぞなんて思ったりするけど、やっぱり既にできることはある。

なんだ、わたしはいつでも「かわいいおばあちゃん」になれるんだ。

きっとおばあちゃんになっても自分の人生に満足していたんだろうなあ。大人が自由でそこそこ楽しいもんなんだって知れたから、次は「おばあちゃん」を経験して、すきに、楽しいって思うことをして、それでもう満足しちゃいたいんだ。

なりたい自分の姿っていろいろあるけど、それって25歳を過ぎた頃からもう年齢なんて関係なくて。歳をとったら自然とできるようになることでもきっとなくて。今からだってできることがいっぱいあるのかもしれない。いつだってなりたい自分マインドで生きていて気づいたら「かわいいおばあちゃん」になってた!みたいな方がずっとずっと幸せなのかもしれない。

ここまで考えて、そういえば、念願叶っておばあちゃんになれたら次は早く死んじゃいたいって思うんだろうか…?とふと考えた。

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