エーゲ海の島で考えた旅と日常
オレンジ色の夕陽が、ゆっくりと沈んでいく。
やがて水平線を境にしてその夕陽がじわじわと消えていく。もう半分も見えなくなると、その後はあっという間にエーゲ海の向こう側へ落ちていった。
その瞬間、レストランのテラス席にいたマダムたちから感嘆の声が上がった。
「あぁ〜!」(沈んでしまった..)
それでも、水平線にはまだ淡いオレンジ色の光を放ち続けている。僕は一人で路地に口を開けながら立ち尽くしていた。
ふと、自分が立っている場所を見渡してみると崖に上にいる。
そこに白い漆喰の建物がおもちゃを繋ぎ合わせたように覆っている。
その景色を改めて眺めた時、はじめてここは夢の島かと疑った。
*
このエーゲ海に浮かぶ夢の島にも"日常"はある。
アテネ・プリウス港からフェリーに乗り、エーゲ海のいくつもの島を経由しながらおよそ8時間かけてやって来た。
船から初めてこの島を眺めた時、崖の上に雪が覆っているように見えた。むろん、この温暖な南欧のリゾート観光地に雪が降るはずがない。それは紛れもなく、人がそこで生活をしている街だ。
街のメインストリートから細い路地を抜けて海の方へ歩いていく。そのうち、どこを歩いても迷路のような路地を彷徨うことになる。
トンネルもあれば行き止まりもある。路地や階段の先に、真っ青なエーゲ海が飛び込んでくることもある。
ちょうど昼時、食器の音を立てながら父と娘の会話が聞こえてきた。
雲一つない青空の下、エーゲ海を一望できる家のベランダで洗濯物を干しているおじさんもいた。
路地には、暇を持て余した犬たちがまるで死んだように寝転んでいる。
小学校の校庭では子ども達が遊んでいた。教会や博物館もある。もちろん、世界中から観光客がやって来るリゾート地だから、レストランや土産屋もたくさんある。
この島の路地を歩けば、ごく自然な日常の風景がある。
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じつはこの島に滞在中、僕は同じ観光客に4回も遭遇した。同じ日に4回も顔を合わせると、さすがにお互いが自然と挨拶を交わす。
「いやぁ~また会いましたね!」
眼鏡を掛けた賢そうな中国人青年だった。当時の僕と同じくらいの歳だろう。僕が持っていた小さなデジカメより数倍高そうなNikonのデジタル一眼レフを首からぶら下げていた。
最後に遭遇した時、その中国人青年が言った言葉がなぜか心に残っている。
「旅行で来るならこんなに素晴らしい場所はないよ。だけど、僕はここには住むことはできない」
そう言われて少し考えた。そして僕も同じかもしれない、と思った。
僕もずっとこの島に居たとしても、いずれ日本に帰りたいと思うだろう。
同じ場所でも”旅する”のと”住む”というのとでは、意味合いが全然変わる。
旅は、非日常を求めてやってくること。住むということは、この島に日常があるということ。だから、住むとなれば何かしらの仕事もするだろうし、家も買うか借りるかして暮らすことになる。子供は学校へ通い、お母さんは今日の晩御飯は何にしようかと考えながら毎日スーパーへ買い物へ行くのだ。
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沢木耕太郎の著書「深夜特急ノート」の中で、旅とは何かという問いに対して筆者は次の一文を紹介している。
《家ヲ出デテ、遠キニ行キ、途中ニアルコト》
実はこれは沢木耕太郎自身の言葉ではなくて、近代日本の国語辞書を編纂したことで著名な大槻文彦が「大言海」で記していた言葉だ。
沢木耕太郎にとって、最も分かり易く響いたのだろう。
そして、沢木耕太郎自身も旅というものにこうした言葉を書いている。
旅は旅をする人が作るものだ。旅は同時に、終わりがあるものでもある。始まりがあり、終わりがある。
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旅行で訪れたことで影響を受け、本当にその土地に住み始めてしまう人も中にはいるだろうが、そうした人だって自分で旅を作っている。
最終的には自分で旅先を決めて、自分で行動している。そして、自分でそこに住むことを決めている。それまでの過程がすべて旅ということになる。
人にはそれぞれに沸き立つ感情や思い入れがあるだろうが、自分が住んでいる場所には無いものに憧れる人は多いはずだ。ただ、そこに住むということを選択した時点で旅は終わる。
サントリーニ島は、僕にとって単に海や夕陽や建物が美しい場所ではなく、自分の日常はどこにあるのかと考えさせられる場所だったかもしれない。
結局のところ、僕もあの中国人青年も非日常を求めてやってきた旅行者であって、それはお互いにとってまさに"旅の途中"だったのだろう。
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