アイルランド ダブリン
カナダ・バンクーバーの宿でルームメイトだったアイリッシュの男が投げやりに言ってきた。
「グラフトン・ストリートは歩いたか?あの短い通りが街のメインストリートさ。ダブリンなんて、人口100万人程度のちっぽけな街だぜ」
続けて言う。
「アイルランド全土でも400万人しかいない。日本は人口何人いるんだ?えっ、1億2000万だって?」
そのアイリッシュの男は、顔の前で両手を広げながら呆れてしまった。
「しかし、あなたの国には、”妖精”がたくさんいる」
当時、そんな誉め言葉など決して頭には浮かばなかったが、あまりに自分の祖国に対して不機嫌な面持ちになっていたので代わりにこう言った。
「ダブリンの酒場ほど居心地がいいところはない。アイリッシュ・ミュージックは最高だし、僕は洋楽の中でも一番好きだ」
すると、不貞腐れていたそのアイリッシュの男の顔が少しだけ穏やかになった。
男の言う通り、確かに単純に日本と比べるなら面積は北海道と同じくらい、人口も数字だけを比較すれば小さな国なのかもしれない。だが、日本から遥か最西端に浮かぶ島国アイルランドを”小さな国”だとは決して僕は思わない。
この国が世界中に影響を与え続けてきた音楽や文学には、おそらくアイルランド人だけしか表現しえない独創的で幻想的な魅力があるから。
そして何より、「森には妖精が住んでいる」と、この国の人たちが本気で考えているユーモアに不思議な魅力を感じてしまうのだ。
「妖精」
日本の田舎の道路には、「動物注意」といった標識をよく見かけるが、この国には「妖精注意」と書かれた標識が真面目に立っている。それほど、彼らは”幻想”というものを大切にしている。
自分が旅した国の中で、また行きたい国はどこかと聞かれたら、僕は真っ先にアイルランドだと答える。今晩も、ダブリンに密集する酒場では大勢の人たちが集い陽気に歌っていることだろう。彼らの悲惨な歴史を吹き飛ばすかのように明るく。
「ところで、ここからどこへ向かう予定なんだ?」
と、アイリッシュの男は僕に聞いてきた。
「バスでシアトルに行く予定だよ」
すると、アイリッシュの男は急に表情を変えて言った。
「おぉ~!シアトルか!俺もだ!ならば一緒に行こうではないか!」
さっきまでの不機嫌な表情がまるで嘘だったかのように興奮し、笑顔で握手を求めてきた。
翌日、僕はその"陽気な"アイリッシュの男とシアトルへ向かった。
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