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自分のバイク遍歴で人生を振り返る

二十歳の頃からバイクに乗っている。原付を含めるなら、高校2年生の時からだ。今でも免許証には「平成13年1月31日」と取得日が記載されている。

免許を取ったその日、友達と一緒に初めて一般道路を走った時の感動は、今でも鮮明に覚えている。

自分の行動範囲が一気に広くなったことが何よりも嬉しかった。

当時、すでに原付や単車に乗っている同級生も多かった。

原付ならば、ZXやZRなどが圧倒的に人気があった。後部座席の後ろにウィングの付いた、いわゆる”粋がりたい盛り”の者たちが乗りたくなりそうな外見をしていた。もちろん、高性能で速いからという理由もあっただろう。

そして、どうも昔も今も「Z」が付くものに男は惹きつけられるらしい。「Z(ゼット)」という音の響きやアルファベットの形そのものにどこか強さや逞しさを感じる。

マジンガーZ。ドラゴンボールZ。Zガンダム。

車でも、フェアレディZという日産の名車がある。

最近では4人組のガールズユニット「ももいろクローバーZ」だろうか。グループのことはよく知らないが、「ももいろクローバー」だけなら可愛さで終わる。そこに「Z」が付くことでイメージが変わってくる。


単車ならば、KawasakiのゼファーやHONDAのCB400などだろうか。教習車でもよく使われているネイキッドバイクの名車だ。当時はまだビックスクーターのブームが巻き起こる直前だった。


だいだい、原付も単車もみんな改造して乗っていた。ハンドルをアップハンドルにしたり、マフラーを変えたり、ウィングを立派なやつに変えたりするのだ。それが”カッコいい”と思うからみんな好きなように改造するのだ。

僕が高校生の時に部活で外周道路を走っている時、帰宅部の同級生が私服でゼファーに乗りながら声を掛けてきたことがあった。

「頑張れよ~!」

「ブォ~~ン!ブォ~~ン!パンパン!プゥオ~~~~ン!!」

そういう音をクラッチとアクセルを巧みに操って鳴らしながら、目の前を走り去っていく。声を掛けてくれるのは嬉しかったが、どうもあの音の響きは好きになれなかった。

バイク自体をけなしているわけではなく、そういうスタイルでバイクに乗ることに同い年でありながらあまり魅力を感じなかったのだ。

では、そういう僕はどうだったのか。

高校生の時は、野球部に所属していたのでずっと丸刈りである。アルバイトはできなかったし、免許をとっても自分のバイクを買うことはもちろんできなかった。だが、免許を取得するだけならできなくはなかった。

原付の免許を取った日から、僕はたまたま兄貴が乗っていた原付を借りることができた。それ以降、兄貴に許可をもらって乗りたいときは借りていた。

結局、その原付は高校を卒業した頃に兄貴から譲ってもらった。つまり、僕の人生で初めて所有したバイクだ。

僕が貰った原付の現物写真が一枚も見つからず残念だが、コレである。


なんと可愛らしい名前なのだろう。優しくてトゲがない。

当時は友達同士で「お前、原付何乗ってんの?」などの会話をしたものだ。

「ZXだよ」

「ZRだよ」

「ZZだよ」

「で、お前は?」

「えっ、ミントだよ♬」

僕がミントだと答えると、決まって笑いが起きるのだ。

もう生産中止となっているが、このミントこそ最高の原付だと僕は信じている。軽量で小回りも利くし、おばちゃんが買い物へちょこっと乗るにはまさに最高の原付だ。フロントにはカゴも付けられる。

僕が乗っていたミントは状態が悪かった。兄貴からのお下がりということもあるが、それでも程度は良くなかった。まずハンドルの軸が左に若干だが曲がっている。シートはナイフで切られたように破れていて、中のスポンジが露出していた。

あれはある雨が強く降った翌日だった。何も考えず、いつも通り乗り始めていたら少しずつ尻のあたりがヒンヤリしてきた。

異変を感じてバイクを降りたら、雨水をたっぷり吸い込んだスポンジの水が僕の尻にじんわりと伝ってきた。こうしてこの日、僕はテープで切れ目を完全に補強したのだ。

原付を乗っている友人たちと一緒に走りに行くと、決まって置いていかれるのである。どれだけスロットルを全開にしても、僕のミントは最速48kmだった。ZXやZRなどは速い。加速力も全然違う。リミッターカットといって、速度が60km以上でるように改造していた奴もいる。(もちろん、いけない)

だから、同じ原付に僕のミントはどんどん突き放されていくわけである。

僕はそんなミントに大学1年まで乗っていた。通学の際、駅までいつも一緒だった愛くるしい相棒である。

ミントの次の相棒となったのが、YAMAHAのSR400だ。1978年のデビュー以来、多くのファンから愛され続けている。

ずっと憧れていたバイクだった。まずそのデザイン。何も飾り気はないのだが、それこそがこのSRの魅力だと思っている。

まさにシンプル。排気量は400cc、エンジンは単気筒。つまり、エンジン内で空気とガソリンが混合することによって起こる爆発が”単発”なのだ。文字で表現するならこんな感じだ。

「ドォッドォッドォッドォッドォッドォッ」

語り始めると文字数がとんでもなくなりそうなので、ここでは割愛することにするが、とにかく身体に伝わる”鼓動”が心地よいのだ。

実はこのSR、「セルスイッチ」が付いていない。キック始動オンリーなのだ。サイドステップのそばにキックペダルがあり、それを勢いよく踏み込むことでエンジンがかかる。

よく考えれば、とても不便なバイクだ。すぐ出発したくても、なかなかエンジンがかからないこともある。その場合、ひたすらキックをしなければならない。なので、通学通勤には全く不向きなバイクといえる。

だが、僕はそのキック始動する時の姿がカッコいいとさえ思っていた。あれを自分もやりたい!そんな感じである。

SRを僕は八王子市にあるバイク屋さんで購入した。今もまだある。僕の兄貴(といっても長男の兄貴の方で、ミントをくれたのは次男の兄貴)と彼女(今の奥さん)が一緒に付き添ってくれた。

バイクを見た瞬間、一目惚れだった。

年式は古かったが、状態はいい。跨った時の手応えや乗り心地もよく、色も良かった。ちょうどワインレッドとグレーが混ざったような、渋い色だった。

当時、確か中古で42万くらいだったのを少し値引きしてもらった。

値引き交渉をしたのは、僕ではなく兄貴だ。たまたま販売を担当してくれた人が僕と同じ大学だったのだ。それを知った兄貴が、すかさず大阪魂を発揮した。こんな感じだ。

「お兄さんコイツと同じ大学のよしみや、ちょっとまけてやってや!」

僕はこのSRで旅の面白さを知った。自分一人でどこまででも行けると思った。

実際、ミントの比ではないくらい行動範囲が広がった。このSRと一緒に人生初の一人旅もした。

それから僕が海外放浪の旅に出る直前の大学3年の夏まで、ずっと僕の相棒だったのだ。

まぁこの記事を書き終わった時に一番驚いたことは、僕が可愛いミントに乗っていた同時期に妻が白のZXに乗っていたという事実である。

僕のバイク遍歴はまだ続くが、今回はこの辺で。

5月19日 ~旅馬~山中湖周遊 日帰りの旅 005

当時僕が乗っていたSRの写真。少し改造はしていたが。

トップ画像は、2005年人生初の一人旅。四国・徳島から東京行きフェリーのデッキで撮影した夕陽。

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