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土方歳三の故郷、武州多摩にある風景

桜が見ごろを迎えていた今年3月末、東京・八王子に住む兄の家にバイクを借りに行った。久しぶりに奥多摩湖あたりまで走りたくなった。

家に着くと、兄が得意げに湯呑にお茶をたっぷり入れてくれた。

「これは桑の葉茶や!飲んでみ!うまいぞ!」

初めて飲んだが、思わずゴクゴクと一気飲みしそうになってしまった。

桑の葉には、糖尿病などを予防する成分がたっぷり含まれている。食前に飲むのが一番効果的だという。

兄の家からほど近い、高幡不動尊の境内にある土産屋で売っていたらしい。

「高幡不動尊か」

その名を聞いた僕は、さっそく奥多摩湖へ向かう途中に立ち寄った。

もともと日本各地で養蚕業(ようさん)が盛んだった時代、桑の葉はカイコが餌として食べることで繭(まゆ)を生み出し、絹をつくるための重要な植物だった。

かつて、八王子や多摩地域には桑畑がたくさん広がっていて、養蚕業の主要な地域だった。

1859年、横浜港が開港すると生糸(絹)は欧米にどんどん輸出され始め、八王子から町田を抜け、横浜港に至るまでの道は絹を運ぶ道になった。今でも「絹の道(シルクロード)」として、歴史に名を残している。

じつは桑畑には、ちゃんと地図記号がある。ここで中学時代に習った地図記号の復習も兼ねてクイズを。以下の中で、どれが桑畑を示す地図記号かお分かりだろうか。(最後に答え合わせ用の記事を紹介)

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閑話休題。

養蚕業の全盛期だった昭和初期は、日本各地で桑畑が見られたという。

とはいえ、2万5千分の1地形図の平成25年度から桑畑の記号は地図上で見られなくなってしまったらしい。(2019年度 こどもと地図 帝国書院)

それほど、昔に比べて桑畑が減ってしまったという裏返しだろう。

それでも桑の葉茶、桑の実からジャムを製造するなどの需要が今も残り続けている。

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高幡不動尊は想像以上に広く、五重塔が建っているのには驚いた。

また、新選組副長だった土方歳三の菩提寺ということもあって、敷地内には像も立っている。

司馬遼太郎の歴史小説「燃えよ剣」を少し読み返してみると、主人公の土方歳三が生まれ育った武州多摩の風景に、桑畑がたくさん登場していた。

例えば、土方歳三が沖田総司と共に分倍橋に決闘へ向かう場面がある。

決闘の相手は甲源一刀流、南多摩八王子の比留間道場の七野研之助らをはじめとする連中である。

事前の偵察から分が悪いと見た歳三は、沖田と共に挟み撃ちの戦法を取ることに決めた。

いよいよ攻め込むという直前、二人はこんな会話を交わしている。

沖田:「なんだか変だよ。お尻の菊座のあたりがむずむずしてきちゃった。変にそこだけがふるえるような痒いような...」

歳三:「こまった坊やだな」

沖田:「失礼ですが、そこの桑畑で済ませてきますから、待っててください」

歳三:「早くしろ」

結局、そう言った歳三も下腹のあたりが怪しくなり、桑の老木の陰に座り込み、沖田と並んで一緒に用を足す。

これで落ち着きを取り戻した2人は、いよいよ決闘を始める。

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雲一つない晴天の平日、高幡不動尊には僕と同じように一人でやって来ていた人も見かけた。仁王門の前で手を合わせ、一礼する女性の姿もあった。寺院で見られるそうした光景はどこか心が和む。

総門を入ると、例の桑の葉茶が売っている土産物屋の建物がある。

が、シャッターが閉まっていた。張り紙にはこう書かれていた。

「しばらくの間、土日のみの営業とさせていただきます」

残念ながら、お目当ての桑の葉茶を入手することはできなかった。

それでもまぁ、こうして高幡不動尊に来ただけでも良かったか。

僕は再びバイクに乗り、奥多摩湖に向けて走り始めた。

***

地図記号クイズの答えは、現役中学生のあべゆうさんがnoteで情報提供してくれています。試験範囲ということで今まさに勉強している。ちなみに、記事の一番下に掲載されています。興味のある方はぜひ答え合わせを!ちなみに、クイズを出しておきながら僕は何一つ分かりませんでした。(今はバッチリです)


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