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活動自粛に重なる自然保護団体の主張

 緊急事態宣言によって多くの業種が活動自粛を求められる今日ですが、その補償対策には不安と不信感しか感じず安心感が感じられません...。そのような現状に重なるのが、動物を守ろうという一部の自然保護団体の主張です。

 動物を守ろう、動物を殺すなということには異論もありませんし、むしろ歓迎すべき活動でもっと評価されるべきでしょう。しかしただ守ろう、殺すなで物事は解決しません。自然保護団体も含め、動物たちを殺している人たちも、すべての人々が生きているのは”人間社会”である以上、殺す理由は生きるため、つまりビジネスの要素なのです。

 例えば、和歌山のイルカ漁。伝統文化の保存を大きく主張する人もいますが、無償で活動してまで伝統文化を守ろうという動きはまずありえないでしょう。しかしイルカ漁の期間は限られていることから、イルカ漁だけを生計の糧にしている漁師も考えにくい。自然保護団体からすれば、イルカを漁らなくても生きていけるでしょうという主張になるわけです。

 しかし今一度一歩下がって自分たちに話を置き換えてみましょう。必要最低限の生活のために必死に働いている人たちももちろんいますが、多くの人々は自らが想像する満たされた生活を送るために働いていますよね。車や家、ファッションやエンターテイメントのためになにかしら稼ぐ術を考えていませんか?

 漁師として長年働いてきて、そのイルカ漁しか術を知らない・その需要が地域で生きる術である人たちに、「必要最低限の稼ぎが出来ているのだからイルカを漁らないでください」というのは、地域の人々からすればなんとも勝手な言い分だとなるのはごく当然の反応でしょう。

 動物を守るな、動物を殺すのを容認しろと言っているのではありません。守ってくれ、殺さないでくれというのであれば、ではそこで稼ぎを得ていた人たちの頼りにしていた収入をどのように補填する方法があるのか寄り添って考えてあげるべきなのです。

 イルカを追い込み捕まえている漁師。”追い込むことができる”=”遭遇する確率が高い”となれば、例えばホエールウォッチングが楽しみたい観光客からすればこれ以上ない最適なツアーガイドですよね。

 他の動物を取り巻く環境もまたこれに近い要素を多く含んでいます。

 ”要請”と”補償”はセットで考えなければ、物事の解決策として不十分なのです。新型コロナ対策と自然保護では物事のスピード感も、事の重大性も、関心の大きさも異なるのは致し方ありません。それでも今の状況を考えると、当事者同士がにらみ合い続けなければいけない実情の根本は同じだと考えざるをないのです。

 

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