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とあるインテリアコーディネーターの話[自己紹介・プロフィール]

初めまして。
インテリアコーディネーターをしています、兼子悠(かねこはるか)と申します。

12年間コーディネーターとして活動してきたのですが、この経験を糧に、2021年から「社会によりインパクトを与えられること」をする!という意識になり、今まで避けてきたSNSの活用をしていこうと決めたので、noteに自己紹介を綴るところから始めようと思います。
(コーディネーターを目指している方に為になれば…とも思っています。)

1. 今の仕事

現在、東京を拠点に株式会社TIMELESS STYLEの代表として、住宅、店舗、オフィス、ホテル等のインテリアデザイン設計、コーディネートを行っています。
元々、新築分譲マンションのモデルルームをつくるコーディネーターをしていたので、住宅のコーディネートが得意ではあるのですが、独立後、仕事を広げていく中で、店舗、オフィス、ホテルの案件もやらせていただくようになりました。
ここ2、3年の割合でいうと、住宅4割、店舗2割、オフィス2割、ホテル系2割という感じでしょうか。感覚値ですが。
法人としては、2021年現在7期目です。

※以下、事例(一部)です。

[住宅リノベ/コーディネート]

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[カフェ/デザイン設計]

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[戸建リノベ(カフェ)/デザイン]

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2.仕事の経歴

[1] モデルルームのコーディネーター
私は中学生の頃にインテリアコーディネーターになると決めていたので、最短ルートでコーディネーターになる道を選びました。
高校卒業後、東京のインテリアデザイン科のある専門学校に入学し、卒業後、2007年に新卒採用でマンションモデルルームをつくっている会社に就職し、ここから私のコーディネーター人生がスタートしました。
モデルルームをつくる仕事は、コーディネーターとしてとてもやりがいのある仕事で、知識も付くし、新卒でその仕事が出来たのはラッキーだったなと思っています。
(業界的に、中途採用、即戦力が求められることが多いです。)

新卒で勤めた会社では、担当先を個々で持ち、営業(時には、営業部の方が入ってくれることも)~プランニング/見積~提案~発注管理~セッティング~請求、アフターフォローまで、一通りすべて自分で完結するようなやり方でした。
当時これが当たり前だと思っていたのですが、デザイナーは「デザインするだけ」という体制の会社もあります。
後、細かいところで言うと、カーテンとか造作家具とかつくる時に、イメージだけ伝えて、各専門業者さんに採寸や図面を丸投げする、というところもあるのですが、新卒で勤めた会社は、そこもすべて自分でやる体制でした。
とにかく、すべて自己完結できるようにならないといけないやり方だったので、最初は訳が分からず苦労しましたが、今ではそれが良かったなと思っています。

[当時作ったモデルルーム]

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人にも、仕事にも恵まれ、大変なこともあったけど「好きな仕事をしてお給料もらえて幸せ!」という感じで、日々キャリアを積んでいたのですが、ここからいばらの道が始ります。(笑)
お察しの方もいるかもしれませんが、2008年9月のリーマンショックの影響で、私の勤めていた会社も影響を受け、勤めて1年半、20歳の時にリストラされました。
まさか、ハタチでリストラされるとは思ってもいなかったので、かなり衝撃的な出来事でしたし、このまま続けていきたい仕事だと思っていたので、突然道が絶たれた悔しさがとてつもなく、会社の会議室で泣きました…。
だた、辞めても、即同じ仕事に就くことは難しいだろうと思っていたので、当時の上司のアドバイスもあり、社長に「アルバイトでいいので会社に残りたいです」という趣旨の直談判に行き、社員半数が辞めていく中、リストラ対象者の中で一番若かった私だけが、アルバイトで会社に残ることになりました。

結果、1年後に業績が回復したのを機に、正社員として復職することになります。
ただ、このリストラ事件でスイッチが入り、「好きな仕事であれば、いつか自分自身で(独立)出来るようにしよう」という意識になり、アルバイト期間の1年間は、人脈作りをしたり、海外に行ったり、ビジネスの勉強をしたりしながら、少しずつ準備をしていました。
復職してからも、ずっと準備は進めていましたが、2年後くらいに無理がたたって体を壊し、入院一歩手前までいってしまう出来事がありました。
ずっと会社を辞める勇気が持てなかったのですが、その出来事がきっかけになり、会社を辞めて独立することを決めました。

色々なことを経験させてもらった、会社、上司には今でも本当に感謝しています。

[2] ホテルのデザイナー
会社を辞めてすぐに売上を立てられる程、自信があった訳でもなかったので(笑)、実は、辞める前に、国内外のホテルのデザインをしている事務所のお手伝いをさせていただく話をつけていました。
1社目の経験だけだとそれが全てになってしまうので、同じ業界で違うものをつくる現場を経験したかったのと、並行して少しずつ自分の仕事を広げていければと思っていました。
ここでは、有名外資系ホテルのラウンジ、チャペル、ディズニーリゾートホテルの改修コンペ、国内ホテルのレストラン改修の他、特別養護老人フォームや、大学の学食等のデザインに携わることができました。
前職では経験できなかった国内外のホテルや、施設のデザインに関わることができ、同じ業界でもやり方やアプローチの仕方が全然違うし、面白いなと感じる日々でした。

この事務所では2年程お世話になり、自分の仕事が増えてきた段階で法人化し、現在に至ります。


3.なぜコーディネーターになったのか

私の場合はすごく単純で、単に「物をつくったり、表現するのが好きだったから」です。
幼稚園の時に絵が表彰されたり、小学校の時に読書感想分が表彰されたり(これは違うか笑)、中学校の時に書道で表彰されたり、とにかく図工・美術、家庭科、音楽といった実技教科大好き人間で、実技教科オール5(5段階評価)という学生時代でした。
(ちなみに中高でバレーボール部だったので体育も得意でした笑)
なので、小さい頃から漠然と、将来は「何か物をつくる仕事がしたい」と思っていて、デザイナーになるって言っていたような気がします。
当時、ファッションデザイナーになる!みたいな話をよく女の子がしていたのですが、私の場合「人と一緒はやだな、服って感じじゃないな」と斜に構えているような子でした。
そんな中「インテリアコーディネーター」という職業をTVのワイドショーがきっかけで中学生の時に知り、見た瞬間「これだ!」とコーディネーターを目指すようになりました。
今思うと超単純です。

4.なぜ独立したのか

中学生でインテリアコーディネーターの仕事を知り、突き進んでコーディネーターになれて、好きな仕事が出来るようになったのですが、リーマンショック時に出来た独立の思いと同時に、当時つくっていた「モデルルーム」に対しても、疑問を抱くようになりました。
それは「モデルルームは残らないこと」です。
モデルルームは、あくまでも分譲マンションを販売する為の販促ツールであり、そこに人は住みません。
そして、販売が終わると取り壊されてしまいます。
(もちろん、つくった物としての役割は果たしているので、それが価値だったということは理解しています。)
モデルルームをつくる過程、コーディネートすること自体はとても好きだったのですが、ふと「こうやって、こだわってつくったものが、最終的には写真でしか残らないんだな」という虚しさに近い感情が芽生えました。
様々なきっかけ、タイミング、思いがあったのですが、最終的にはこれから自分がコーディネーター、デザイナーとして、この業界に関わっていくのであれば「長く残るものをつくりたい」という思いが勝ち、独立して自分でそういった仕事をやっていこうと思うようになりました。

社名の「TIMELESS STYLE」はそんな思いを込めて、名付けました。

5.これからのこと

冒頭に書かせていただいた通り、現在は「気に入ったものを長く、タイムレスに使える空間」を目指して、幅広いジャンルの空間をつくらせていただいています。
そして2021年からは、今までの経験を活かし、専門学校時代からやりたかったことに着手しようと思っています。
それは「古民家再生」です。
「古民家再生」とだけ書いてしまうと、今もたくさんの方が取り組んでおられますし、私の専門領域から対象が大きくなっているので、私がやる意味があるのかと、思われてしまうかもしれません。
ただ、これこそが私がやりたかったことであり、その為の独立でもありました。


これから、noteで想いを綴りながら、事業の進捗や、アウトプットをしていきたいと思っています。
ご興味を持っていただいた方は、お付き合いいただけると嬉しいです。


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