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靴がダメになったので


 仕事用の靴に穴が開いてしまいましたとさ。気に入っていたのに。悲しみ。素敵な靴を求めて今日は買い物へ。良い靴がすぐに見つかった。購入。

 私は買い物をする時あんまり悩まない。いいなあと思ったら買う。悩むけれど、いいなあと思ったらもう決めているらしい。悩むふりかしら。洋服でも食べ物でも結構なんでもかもしれない。そうやって決めたものや事柄はほぼ素晴らしい結果になっているんだ。失敗といったら新発売のお菓子だとか飲み物が不味かったなあ、みたいなこと。あと私は多分お土産を選ぶセンスがないと思っている。微妙だったことが多い気がしますね。つらい。センスとはどうしたら磨かれるのだろうか。

 いい靴を履いていると、その靴がいい場所へ連れて行ってくれるって言いますよね。おんなじ靴を履きがち。気をつけてみる。お出かけの時くらいは機能性よりも、自分のお気に入りを履いてみようかな。それだけでもうお出かけの目的が達成されてしまうなあ。

 洋服って靴ってその人のこだわりとか好きでできていますよね。だから好き。道ゆく人のファッション、見ちゃいます。しかし私が特別おしゃれ、とかではありません。ただお気に入りを着るようにしています。靴は難しい。

 その人らしさ、が感じられてとても好きだ。私らしさとは。自分じゃあ案外気がつけないかもしれない、最近そう思う。

 いつも無理をしているわけじゃない。ただそれが素の自分かというとちょっとわからない。必要な時は無理をして繕う時もある。仕事で求められる人物像、こうあらなくては、迷惑はかけられないみたいなものがある。だってそこで自分が、自分自身が必要とされているのかわからないから。

 外では取り繕った自分でいた方が辛くない。でもそこまで元の自分からかけ離れているわけじゃない。楽しいのも、怒り悲しむのも私。自然体だね、いいね、なんて言ってもらえることもある。でもそれを微かに疑う自分もいて。

 確かにそんな顔をしてしまうのも、繕ってしまうのも自分自身なのだから。最近はそんなこと含めて全部自分だって思えるようになった。

 先日、びっくりするくらい素の自分で、自然な自分で会話ができた。こんな出会いがあるなんて。私は心から嬉しかったし、感謝ばかりだった。穏やかに過ぎる時間が名残り惜しかった。少しはしゃいでしまったかもしれない。優しい言葉に促されて、自然にわいてくる言葉たち。無理を、繕いを取り払われて、会話ができた。

 また明日からも頑張れる、希望を、勇気をたくさんもらえた。ありがとう。

 私はもうただただ感謝ばかりです。

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