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『生きるために働くのか、働くために生きるのか〜ブルシット・ジョブと親の看取り』

 3年前、意を決して、退職した。気の合った上司は「休職っていう選択肢もあるよ。考え直してみたら?」と言ってくれたが、譲れない数々の物事とクソどうでもいいブルシット・ジョブを天秤にかけた結果、やはり退職を選んだ。

 三十年前に車椅子の身となった僕は、常に「はたらくこと」について考え続けていた。正確に言えば、考えさせられ続けてきた。

 事故の前までは家業の寿司屋を継ぐために板前の修行に勤しんでいたが、事故で歩くことも立つこともできなくなると、その道も断念せざるを得なかった。

 社会生活を送るためのリハビリと機能訓練を終えて、いざ車椅子で退院してみると、そこに待っていたのは「障害者雇用」という高く厚い壁だった。

 僕が車椅子の身で夜に放り出されたのは1991年。まだバリアフリーとかノーマライゼーションという言葉が生まれたばかりの頃だった。

 公共の施設であれば病院と同じように平坦な職場で、エレベーターや多目的トイレなども整備されていると思い、採用試験に応募しようとしたが「生憎、新卒者だけの採用なんです」といわれ、門前払いを食らった。バリアフリーやノーマライゼーションという意識がないのだから、彼らは障害者採用枠なども用意していなかった。

 公共施設でそんな具合なので、大手自動車販売店や大手建築会社などの公募に申し込んでも、「エレベーターがない」「車椅子で入れるトイレがない」「事務所が狭い」などと理由をつけて、断られた。結局、一年経っても箸にも棒にも引っかからなかったので、僕は保険金をはたいて自ら衣料品店を開業した。そして、その店を八年間営んだ。

 三十代に入ると親を養うことも考え始め、実入りの少ない衣料品店を続けていては先が見えないと痛感した僕は、店を畳み、再度公務員の道を目指した。その頃には、バリアフリーやノーマライゼーションの考えが世に浸透し、公務員試験にも障害者採用枠が設けられるようになっていたからだ。その時の僕の年齢は中途採用の条件を危うく越える寸前だったので、その機を逃すともう後がなかった。

 幸いにも、僕は市役所に正職員として採用された。そのことを、身体障害者になってから僕を支えてくれた家族はもちろん、友人や衣料品店を営んでいた頃のお客さんや同業者も喜んでくれた。

 自営業のように収入に波がなく、毎月決まった日に決まった給料が振り込まれる。年に二回、ボーナスが出る。厚生年金保険に社会保険にも加入し、休業補償などの福利厚生が行き届いている。毎日収入と支出に頭を悩ませていた自営業の頃とは雲泥の差の暮らしぶりになった。

 しかし、親を養うという目的で転職したものの、僕は日々の激務に忙殺され、親とほとんど顔を合わせないという矛盾を抱えながらその環境で働き続けていた。オールをなくしてゆらゆらと海に漂う小舟のように。

 公務員は公僕、つまり「全体の奉仕者」であり、利益追求をしない。だから、それまで僕が携わってきた客商売とは「はたらくこと」の概念が全く違っていた。

 彼らの多くは大学卒業後に公務員になっているので、製造業やサービス業の世界を知らない。だから、様々な事情で生活に困窮する人たちが、なんで困っているのか、その痛みを理解することができない。「全体の奉仕者」であるにもかかわらず市民の気持ちに寄り添えないのだから、その行政や財政が市民感覚とズレるのも当然といえば当然だ。身を粉にして働いているというのに、何も生み出さず、市民にも寄り添えない仕事に、僕は嫌気を感じていたにもかかわらず、生活を安定させる収入と引き換えに、僕はその気持ちに蓋をし続けてきた。

 しかし、母親が心臓の病で倒れると、僕の思いは大きく変わった。

 確かに僕が公務員になってから、我が家の暮らしは一変した。両親に車を買い与えることもできたし、一度廃業した寿司店も再開させることができた。ただ、両親と離れて暮らし、週末に実家に戻るだけで、彼らと共有する時間を多く持てなかった。でも、両親に残された余生はそう長くはないのだと、母親の病気を機に、僕は知らされた。その時、仕事のために心を殺すことをやめようと、僕は決意したのだった。

 僕は公務員を辞めて、両親との同居を始めた。両親の通院の送迎をし、毎日犬を連れて散歩もした。食卓を囲み、会話を持ち、決して裕福ではないが、慎ましく穏やかな暮らしに満足している。

 世界で幸福度の高い北欧の国・デンマークでは『ヒュッゲ』という理念がある。冬が厳しく長い北欧では、金やモノよりも人や時間を大切にする。よくよく考えてみればモノは金で変えるが、人や時間は決して金では買えない。

 日本でも北陸に幸福度の高い県は多い。他の県に比べて二世代、三世代の同居率が高く、加えて通勤時間が三十分以内という人が多いのだ。やはりデンマークと同様に、家族との時間を重んじている。

 現代は「生きるために働く」人たちが、知らず知らずのうちに「働くために生きる」ようになってしまっている。昔はその日に食べるだけの魚や農作物だけをとっていればよかったのに、豊かさを求めるあまりにリサーチや宣伝、評価や審査、会議や研修など、本当に必要なのかどうか曖昧な「ブルシット・ジョブ」が横行し、そのためにはたらく人の多くが自我を見失っている。

 人が亡くなるとき、ほとんどの人が「どうしてもっと自分に素直に生きてこなかったのか」「どうしてもっと家族との時間を大切にできなかったのか」と振り返るそうだ。あと十年後、もしかしたらそれよりももっと早く、僕は親を看取ることになるだろう。その時に、僕は決して「どうしてもっと…」と後悔したくない。もちろん自分自身の夢に対しても、はたらくことを口実に諦めたりしたくない。

 今は葬儀場でパートタイマーとしてはたらいている。受付のみの担当なので、通夜や葬儀があれば出勤し、式が終われば帰れる。収入は公務員に比べて格段に落ちたし、ボーナスもない。厚生年金保険や社会保険の加入もなければ、休業補償もない。それでも、両親の余生を共に過ごせることの方が僕にとっては大事なことだ。

 やはり人は生きるためにはたらくべきである。そして、生きるとは、金やモノなどの脆く虚ろなものに支えられるものではなく、真心や情熱という普遍的で永続的なものに裏付けされるべきだと思う。

 了

  

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