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竹五郎さんとマナティー〜FUKUSHIMA TRILOGY Ⅰ(3)

〈前回のあらすじ〉
 失踪していた父親は、見ず知らずの女と山中で心中を図った。父親はあっけなく絶命し、女は辛くも生き延びた。父親はひっそりと火葬された。その魂を探すように直(なおし)と諒(まこと)は夏空を仰いだ。そして、その一年後、直も自ら命を絶った。果たして、仰いだ夏空に直は何を見たのだろうか。

 3・精神崩壊していく母親

 夫を心中というスキャンダラスな行為で失った母親は、僕が高校で迫害されたように、親族からも近所の住人からも疎外された。

 父親が残した貯蓄で家の月賦を払いながら暮らすには不安があったが、幸い、自殺でも保険金や見舞金が舞い込んできたので、即座に生活が苦しくなるような事態には陥らなかった。だが、それと引き換えるように、母親は親族からも外との接触を断つように強要された。親族の中には、家を売り、残った財産を持って、別の土地で新たな生活を築けばいいのだと強く主張する者もいたが、危うく母親がそうした横暴な説得に屈しかけた時、直が毅然と反発した。

「父親が犯してしまった行いで、皆さんにはご迷惑をおかけしました。でも、僕らは父親が家族を崩壊させたとは、思っていません。だって、僕らは父親から何一つ、彼自身の心の変化を打ち明けられていなかったのですから」

 葬儀場での思いがけない直の反発で、親族の会食の席が騒然となった。

「家族に何も言わずに失踪し、死んだことこそが、家庭崩壊なんじゃないか」

 まだニ十代半ばの若造に反論されたことに逆上した叔父が、直を怒鳴りつけた。おそらく、叔父自身も自分の実弟が自殺を選んだことを今でも受け入れられず、狼狽えていたのだと思う。

「いえ、家族を顧みない父親であったなら、死を選んだりしなかったでしょう。父親は僕らの知らない女性と死を共にする道しか選べないほど、悩んだに違いないんです。残された僕らは、そうした命題を、父親が僕らに打ち明けられなかったその理由を、これから探していかなければならないと思っています。そのために、ここに残らなければいけないのです」

 まるで自分を鼓舞するかのようにそう言った直の言葉に、叔父も押し黙るしかなかった。

 それ以上に、直の意志に反論する種族は、一人もいなかった。その姿を見て、母親は涙を流し、母親なりに醜聞の重圧に抗う術を身につけようと努め始めた。

 父親の死の衝撃から少しずつ立ち直った母親は、親族からの指示に逆らい、自ら外界との繋がりを求めて、スーパーマーケットの生鮮部門での仕事を得た。冷凍されたまま納品された肉の塊を解凍して細かくスライスし、計量して包装する単純な仕事だったが、それでもその時の母親の心情からしたら、大した冒険であったと思う。

 一週間ほど勤めを全うすると、母親は僕らの夕食の支度をしながら言った。

「接客をするわけでもないし、職場の人と言葉を交わすことも少ないの。お母さん、今まで外で働いたことないでしょ?だから、今のところで働くのは、お母さんに向いていると思うの」
「それならよかった」

 仕事から帰って一息つく間も置かず、母親と肩を並べて台所に立った直は、みそ汁に入れる豆腐を丁寧に掌の上で切りながら、穏やかにそう言った。

 きっと直は、母親がやせ我慢をしているのだと考えていたに違いない。疾しい心の持ち主ほど饒舌であることは、古来から変わらないからだ。直は母親が言うことにいちいち相槌を打ち、それならば自分も仕事に専念しなければと、あからさまに背筋を伸ばしたりした。

 食卓を挟んで繰り広げられる母親と直の会話は、誰からも校正や加筆をされることなく代々受け継がれた粗末な台本で劇を演じる健気な子供のように、悲哀に満ちていた。僕は、伴侶を亡くした女の精神が、それほど頑強ではないと、本能的に掴み取っていた。そして、その代償は、あっけないほど早い段階で、僕らに突き付けられた。

 母親の精神的な支えは、新たな家長となった直となり、直が実直に働きに出ている以上は、自分も堪えなければならないのだと思い込むようになっていった。そのせいで、母親の直への依存度は高まり、直が夜勤のときには、直が帰宅するまで決して眠ろうとしなくなった。朝まで直の帰りを待つのだから、当然母親の仕事にも悪い影響が出るようになり、母親が自ら辞職を決断をする間もなく、スーパーマーケットの店長から直々に辞職を促された。遅刻や居眠りだけでなく、計量や包装のミスを繰り返した母親に直が伴い、スーパーマーケットの店長に詫びを入れた。退職まで日割りした給料を現金で受け取った帰り道、二人は精神科のクリニックに立ち寄って診察をしてもらった。そして、いくらかの睡眠導入剤を持ち帰った。

 それは、父親が死んでから半年後、直が自殺をする半年前のことだった。

 慢性的な不眠症になってしまった母親は、昼夜がさかさまになったような生活に陥ってしまった。夜中にがたがたと家事を始める母親に、さすがの直も辟易としていた。僕はといえば、辛うじて高校は卒業したものの、一向に意欲を注げなかった専門学校の受験に失敗したため、学生でも社会人でもない中途半端な立場にあった。受験の結果よりも、不甲斐ない受験勉強への取り組みについて、直から苦言を呈されたが、入学したところで、勉学に意欲がないのだから、遅かれ早かれ自分は退学していたに違いないと主張すると、直はそれ以上の小言を言わなかった。僕が進学しなければ、情緒不安定に陥ってしまった母親の行動を、直に代わって監視できるので、おそらく直は、早々に手打ちにしたのだと思う。

 ただ、まさか直をも失うことになろうとは思いもよらなかった母親は、直が自殺をしてこの家から姿を消してしまってからというもの、外界だけでなく、残された家族であるはずの僕までも、拒絶するようになってしまった。きっと母親は、母親の身に降りかかった度重なる不運を、世間知らずの自分が招いてしまったのではないかと思い詰めたのかもしれない。

 勿論それは僕の憶測の域を超えるものではなかったが、直が死んで以来、母親が深夜の活動に身を沈めたうえに、仏壇の前で今まで聞いたことのなかった奇妙な念仏を唱えるようになったことが、僕にそんな考えを巡らせた。

 竹五郎さんとマナティー〜FUKUSHIMA TRILOGY Ⅰ(4)につづく…。

〈あらすじ〉
 父親を心中で、兄の直(なおし)を自殺で立て続けに失った諒(まこと)は、塞ぎ込んだ母親を見守りながら、希望もなく、しかし絶望もない日々に、ただ身を委ねていた。ある日、父親の墓前で謎の女に出会ったことやその女から水族館に関する本が送られてきたことで、諒の心が少しずつ揺らぎ出した。やがて、水族館で働き始めた諒は飼育係の竹五郎さんや気立てのいい女性事務員、突如現れた直の友人と関わるうちに、兄が残した遺産を辿る旅に出る。生きづらさに翻弄される人々が、遠くの星の輝きを手繰るように、手放した希望や救いを取り戻そうとする物語。福島第一原子力発電所事故を記憶に留めるために筆者が書いた渾身の「原発三部作」の第一部。第二部は『出口は光、入口は夜』、第三部は『CLUB ONIX SEVEN STEPS』。

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