勝ち慣れるということ

※本コラムは7/4にワールドカップのベルギー戦を受けて執筆したものです。

 下馬評を覆しての大接戦だった。西野監督、出場選手の意地を見た試合だった。
 1996年アトランタオリンピックで日本代表を率いた西野監督は、ブラジルを1対0で破るマイアミの奇跡を起こす。奇跡と呼ばれる一方で徹底的な守備的布陣を採った西野監督には批判もあった。その反骨心からJリーグ、ガンバ大阪の監督時代は超攻撃的サッカーをすることになったと西野監督は明かしている。そしてその反骨心が、2008年にクラブワールドカップ準決勝、マンチェスター・ユナイテッド戦の3対5の歴史的敗戦につながるのである。


 まさに今回の大会はその12年を凝縮したような2週間だった。去るポーランド線は記憶に新しい。過程よりも結果を求めるようになった侍魂は、本コラムでもすでに述べたように素晴らしいものだった。だが、当然批判はあった。それへの反骨心が、後半アディショナルタイム、積極的攻撃参加のコーナーキックへ繋がったのだろう。試合前からも90分で決着を着けると名言していた西野監督の魂を見た気がした。
 しかし、それでもやはり勝てないのは、勝ち慣れていないからだろう。サッカーで「勝ち慣れている」という言葉が一般的に使われているのかどうかを、この試合をリアルタイムで見ていないくらいにサッカーに興味のない私には分からない。


 「勝ち慣れている」という言葉をよく耳にするのは高校野球、特に夏の甲子園である。地方の公立校が勝ち進む。やがて甲子園常連の私立強豪校と対戦する。甲子園の観客は判官びいきなところがあり、当然公立校がホームのような声援を受ける。その声援を受け、あれよあれよと試合は進み、気がつけば9回表が終わって2点リードしている。そして実感するのである。「やばい、優勝候補に勝っちゃうよ。明日は新聞の一面だな」と。そう思った瞬間に足は地につかなくなる。逆に相手はこういった逆境を何度もひっくり返してきているからこそ甲子園常連の強豪校だ。宙に浮いている相手の弱みに付け込むことができるのだ。これが「勝ち慣れている」「勝ち慣れていない」ことによって現れる実力以上の差なのである。甲子園の女神だとか、甲子園の悪魔だとかは、これが原因の一つだろう。


 合コンではどうだろうか。私達は今まで多くの場数を踏んでいる。練習量だけならば誰にも負けない、かもしれない。女性陣を楽しませる自信もあるし、今日に限っては世界で一番自分たちがかっこいいと思っている。「ステージに上がったとき、自分が一番上手いと思え。ステージを降りているとき、自分は一番下手だと思え」と、エリック・クラプトンが言ったらしいが、まさにその心持で挑んでいる。こういった心境で挑むメリットは生物学的にも証明されている。
 『利己的な遺伝子』という一世を風靡した本で紹介されていた事例だ。グッピーのオスは尾が大きく柄が綺麗な方がメスにモテる。しかし、同じ水槽内に仕切りで4部屋を造り、モテないはずのオスとメスの部屋、モテるはずのオスだけの部屋、メスだけの部屋にする。当然モテないはずのオスはメスと交尾をすることになる。その後、仕切りを外すと、本来モテるはずのオスが相手にされず、交尾をしていたモテないはずのオスが、一方のメスからも交尾を迫られるのだ。


 つまり、逆説的ではあるが、モテる男とはモテる男なのだ。だから嘘でも、自分はモテると振る舞うべきなのである。
ここまで考えて挑む合コン。負けるはずはないが、相手がCA(キャビンアテンダントなのか、サイバーエージェントなのかはどちらでも構わない)になった瞬間私達は勝ち慣れていない側に回ることになる。浮足立ち、相手を褒めることに終始してしまう。では、勝ち慣れている側はどう振る舞うのか。
答えが「適度にディスる」である。CAの女どもは、自分の顔はもちろん、髪、ネイル、スタイル、育ちの良さまで褒められることが日常であり、褒められることに対してなんの感情も抱かないCA(Cyborg or Android)なのだ。間違っても相手が大きなコンプレックスを持っていそうなところをディスってはいけない。彼氏に浮気されそうだとか、貯金が無さそうだとか、ド変態だろとか、どうでもいいところをディスるのある。

 職場の先輩にMという男がいた。彼は知ってか知らずか、常に女をディスっていた。後輩に命令し、やっと食事にありつけた美人3人を前にして、タバコをふかしながらふんぞり返る。そして「おいブス。酒頼め。」と30分のアディショナルタイム中に言い放つのである。女が怒って帰ったのは言うまでもない。
 しかし、彼の戦略は結果的に失敗になったとは言え、取るべき戦力を徹底して採った勝負師のあるべき姿なのだ。負けているのにパス回し。延長になった際の負けの確率と天秤にかけた結果、なんとしても勝ち越さなければならないから、全員でコーナーキックに挑む。その勝負師の姿が今回の日本代表と、当社の合コンスタイルと被るのだ。赤い彗星ことCA(シャア・アズナブル)は言った。「戦いとは、常に二手三手先を読んで行うものだ。」と。読みとは計算である。どの作戦が最も勝つ確率が高いの、計算し続けるのだ。

 仕事には、甲子園の悪魔も合コンのCAも赤い悪魔もいない。あえて言うなら汐留の本気くらいだろう。合コンは彼女がいるときの方がうまくいくし、予算を達成しているときの方が新規を取りやすい。サッカー日本代表と同じく、「勝ち慣れる」というのも目標に動き続けたい。コンペに勝ったときよりも、負けたときに話題になるように成長したい。
汐留の本気が出てこないことを願いつつ、CAの攻略法と1億円の新規獲得方法を引き続き模索したい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?