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熱狂

僕はサッカーにおいて、ゴールが決まった瞬間が好きだ。
勝っている状態で試合終了のホイッスルが鳴る時よりも好きだ。
自分が決めた時は言うまでもなく、応援している仲間やプロのチームが決めた時も好きだ。
また、その中でも逆転する時のゴールや、追いつかれた後のゴール、試合終了間際のゴールはさらに好きだ。

あの、ゴールが決まった瞬間の感情や雰囲気がたまらなく好きなのである。
誰も「せーの」とは言ってないのに、一斉に「ィイヤアアァァ!」と観客が叫んでグチャグチャになっているあの感じや、決めた人を仲間が全力で追いかけるような、あの感じである。

サッカー以外の時間で、このように一瞬で感情が爆発することは無い。
勉強で良い成績を取っても、ずっと欲しかったものを買っても、久しぶりに仲の良かった友達と会っても、大声で叫んで訳が分からなくなるほど抱き合って喜びはしない。

なんだか、"ゴールが決まった時の感情"とは違う。

僕が今回なぜサッカーのゴールの話を出したのかと言うと、僕には大学4年になった今、心配事が1つあるからだ。

それは、この"ゴールが決まった時の感情"を、この1年が終わったら、もう二度と味わえないのかもしれないという心配である。

大学4年になった今は、進路を考える時期である。
学芸大蹴球部の卒業後は、プロサッカー選手か、教員か、企業への就職か、大学院への進学に絞られている。

プロサッカー選手になればその感情を味わうチャンスはあるが、教員や企業への就職、大学院の進学では、"ゴールが決まった時の感情"を味わえないのではないか。

ある学校の教員として、その学校を学力テストで全国1位に導いたとしても、ある会社の社員として、不可能と言われたプロジェクトを成功させたとしても、ある大学院の生徒として、自分で書いた論文がノーベル賞を取ったとしても、仲間とグチャグチャになって叫んで喜ぶ姿は想像できない。

結局、教員になって部活を指導したり、社会人リーグでサッカーをしたり、院生として大学のサッカー部に関わったり、また極論を言えば、毎週末に好きなJリーグのチームをゴール裏で応援したりするしかないのかなぁ、と感じてしまう。

卒業してサッカーを続ける道を選択出来なければ、サッカーに関われる時間は今までより明らかに減るであろう。
そう考えると、サッカー以外の時間で"ゴールが決まった時の感情"を味わいたいと感じるのだが、そんな感情を呼び起こしてくれるものは存在するのであろうか...

嗚呼、心配である...
ただ、これからはそのような存在を見つけていきたいところである...

とりあえず今の期間は、ラスト1年で"ゴールが決まった時の感情"を何度も味わうために、毎日我慢するしかないのであろう。

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