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ネコとの年月が私の歴史 (3)

Chapter 3
ノラ猫一族との出会い

当時私達は八ヶ岳の山の中で田舎暮らしという冒険を始めていた。そこで最初に落ち着いた賃貸物件の周りにはノラ猫の一族が棲んでいた。同じような外観の小さなプレハブのような家々の中で、一族は私の家ともう一軒の家だけを往き来していたことから、前の住人がゴハンをあげていたことはほぼ明らかだった。もう一軒の家に住むおじさんは、おそらく飲食店関係のお仕事だったろうと思う。よくゴハンをあげていたようだ。ところがここは日本で、おまけに賃貸物件。ノラ猫一族に食べ物をあげることはご法度っぽく、それについて話題が上ることはなかった。ネコ達はおそらく2-3世代に渡り11匹ほどいた。私には先住ネコが2匹いたが、その周囲のネコ達のこともあり、しばらくはうちのネコは外へ出さなかった。が、外のネコはうちに入って来た。友人や家族は、

「絶対にエサをあげちゃだめだよ!」

と私に忠告した。彼らはノラ猫を社会のゴミだと考えていた。「駆除」という言葉を使った。害虫扱いだ。だが間もなくそのアドバイスには応えられなくなった。標高1200メートル以上の地域では、4月でも外で水が凍り、水をあげてもネコは飲めないのだ。ゴハンも一晩おけばフリーザーの中さながらに凍る。ただしゴハンが一晩残っているという事はあり得なかったが。更にはこの自治区では、生ごみを各々の敷地内に設置されているコンポストの中に「捨てる」ことになっていて、町なかのように残飯が存在しないのだった。なので誰かがゴハンをあげなければ、彼らにはありつけるものがない。しかしそこまで増えていたので、おそらく密かにゴハンをあげていた人はいたはずなのだが。

ネコの中には子猫もいた。数が数だけに、どれだけゴハンをあげても足りないようだった。弱肉強食の社会を例える意味で〝Dog eat dog”という表現があるが、このネコ族の間でもDog eat dogは存在していた。体の大きなネコが最前列を陣取り、一番多くを食べていたようだ。顔の模様から私が名付けたクマドリという白黒のネコは、初めからその競争には挑まず、毎日私が大きなボウルのトップに乗せた、だし昆布だけを素早くくわえ、走り去った。(もっと小分けに食べやすいようにあげていればよかったと思うが、当時は大雑把なもので、大きなボウルからみんなで食べてもらっていた。)しかしその怖い形相からてっきり雄と決めつけていたクマドリは実は雌で、翌年に出産した。

後になんと賢いネコだったろうと思った。他のたんぱく質などにありつけないならば、昆布だけで生きていくつもりだったかどうかはわからないが、そうだとしたらまさにサバイバーだ。アメリカでは昆布を食べる習慣がないので、人間はヨード(Iodine)不足になりがちで、Iodineやケルプのサプリメントを買って摂っている。クマドリは何が体に必要なのか、ちゃんと知っていたのだ。

このノラ一族からは実に多くを学び、また多くを憶えている。この時代ここで何をしていたかなど殆ど思い出さないが、この一族とは幾度もの出会いと別れ、涙と笑いの思い出が今でも色褪せずに残っている。当時インスタントカメラ以上のものを持たず、お見せできるような写真がほとんどないのだが、彼らの思い出は今では計り知れない財産だ。

その新しい家に引越して2か月も経たないうちに、生涯忘れらない悲劇は起こった。
注: ネコの悲劇について聞きたくない方は次の段落までスキップしてください--

ある時、滅多にしないのだが(元)夫が車で出かけるのを見送ろうと外に出ると、車はなかなか発進しなかった。数分の後にやっとしたかと思うと、何かが地面に落ちているのが見えた。それは一族の中で最年少、生後2-3か月ほどの4匹兄弟のうちの一匹だった。何が起こったか瞬時に呑み込めなかったが、悲鳴だけは静かな山々に響き渡った。うちの車がバックで轢いたのかと思ったが、実際には子猫が暖かいエンジンルームに下からよじ登ってしまったようだった。車はタイミングベルトが切れ、ネコの毛がどっさり擦り着いていたと、後から修理工が教えてくれた。子猫は車の発進と同時にエンジンルームから地面に落ちて来たのだった。なぜたまたまその日だけ、私が外に出て見送ったのかを考えると寒気がする。このような事故は寒冷地では時折あるようで、特にリスがその被害に遭うということだった。子猫は即死ではなかった。恐怖と痛みに数分間苦しんだ後、私の腕の中で息絶えた。その小さな頭は変形し、目から血が流れ出ていた。その光景は未だに忘れることができない。あんな恐ろしいネコの死に方は幸い他には経験していない。どんな恐怖だったか、痛みだったかは想像さえつかない。町に一軒しかない獣医へ電話すると、一人しかいない獣医が今手術中とのことで遠方の獣医へ行くように言われた。が、それまで持たないことは目に見えていた。その子猫はよりにもよって4匹の兄弟のうち最も私のお気に入りの、白とラテ色の長毛の美ネコだった。更に悪い事にはその後、母ネコの子猫を呼ぶ声を3昼夜ほど聞き続けなければならなかった。子猫は丘の上に埋めた。母ネコはおそらく何が起きたかは知らない。私は合わせる顔がなかった。事故とはいえ、平和だった彼らの住居に危険な車を持ち込んだのは人間である私たちだ。それ以後、何がなんでも誰に後ろ指を指されようとこの一族を守ろうと誓ったのだった。

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3匹となった子猫の兄弟は、しかしながら絶えない笑いで私の生活を潤してくれた。2匹のわんぱくな兄弟と、おっとりミケティンの女の子のファミリーだ。子猫達は私の家に入りたくて仕方がなく、おもむろに窓に張り付いて中を眺めていた。どのように始まったか覚えていないが、その張り付きの窓に面している一続きだったリビングとキッチンだけを解放してあげた。先住ネコの手前、他の部屋は封じ、夜の1-2時間だけ入れてあげると、彼らは部屋の中にある全ての物で遊びまくり、遊び疲れて眠りこけるのだった。こちらも寝る時間となり、おトイレのこともあるので外に出てもらおうとすると、寝ていたのに飛び起きてもう1ラウンド遊び出す。子猫達はごはんやおやつよりも家の中にある障害物が楽しくて仕方なく、全ての穴という穴に首を突っ込み、入れる所には入り、渡れる所は渡り、ゴミ箱にさえ頭から突っ込んで行った。子猫は毎晩のようにやって来た。その頃は彼らのお母さんも私らを信用していて、いつも近くにいながら子猫達の様子を見守っていた。

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ある時うちの庭と呼べるか呼べないかのようなスペースに、どこかの大型犬が紛れ込んできた。別荘が多い土地のため、山に来れば犬を放してもいいと思っている人達が、都会からやってきて時々犬を自由に放してしまう。自分の土地の周辺は深い緑に包まれていても、ちょっと離れれば普通の民家に住んでいる者もいるのだが。。
 ある日、見慣れぬ犬が子猫達を追いかけるのを素早くキャッチした母ネコは、自分の5倍くらいの大きさの大型犬の前に立ちはだかって、威嚇して他のネコ達を守った。私はたまたま室内からその光景を目にしたのだが、こういう時にヒーローになるのは意外にも父ではなく母だった。尤もこの一族は子供以外は雌ばかりだったと思う。雄はどこかへ行ってしまうのだろうか。するとその大型犬は母ネコのエネルギーに負けたようで大人しく退場し、以後二度と姿を見せなかった。私はこれと似たような場面で、ネコに立ち向かうネズミも見たことがある。人間の常識は人間の間だけで通用するものなのかもしれない。

ノラの一族とはしばらく平和な日々が続いた。少しすると別のネコも出産した。4匹の子猫と母親のために、庭にダンボールで2ベッドルームの家を作った(今私が住んでいる家はこれより少し大きい程度だ。)ノラ猫の母親は人間をとても警戒している。たとえ毎日ごはんをもらっているものにでも。そして私はそうでいてほしい。人間は信用しない方がいい、どちらかというと。

この母猫はものすごくシャイで警戒心が強かったが、この人間が作ったコンド(と呼んでいた)は使ってくれた。子猫達は全長15cm、サンダルにも登れない。もし登れたら降りれない。4匹の子猫達もやがて内の中に入るようになったが、母親は決して入らなかった。

✴︎

私はこの頃は彼らの猫口増加について全く気に留めていなかった。彼らは元からここにいたし、ごはんをあげる人もいる。

「君たち、ここは安全だよ!」

と思っていた。だが気に留めていた人間もいたのだとずっと後になってわかった。

この家には2年程住んだが、その間ピートは外の世界を覚え、毎日サラリーマンのように定時に出勤しては定時に帰宅した。抜群な自然環境で室内飼いでは酷な程だった。ノラ達とも問題なくうまくやっていた。うちに入りたい子猫達と様子を見守る母猫達。先住ネコ。そこにある日突然生まれたての子猫がやってきた。

(つづく)

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もしもサポートを戴いた際は、4匹のネコのゴハンやネコ砂などに使わせて頂きます。 心から、ありがとうございます