人生の犠牲者を一瞬で辞めて、理想を実現するには #虎note
こんにちは、虎( https://twitter.com/tiger_stlv )です。
先ほど、過去に長期セッションを完了した会員さんから、こんなメッセージを頂きました。
彼のブログはこちら。先に読んできてもらうといいかもしれません。
読み終わり、とても良かったなと思うと共に、きっとこうやって生きていきたい人は多いのではないか?彼のように生きるにはどのようなマインドセットが必要かを知りたい人は多いのではないか?と思いました。
ですので、何故彼がこのような変化を起こすことができたのか私の視点から解説していこうと思います。
彼のように、家族に対する嫌悪感がある。けれどどうしても捨てきれない、人生のひっかかりになっている。
そういう人は是非読んでみてください。
そして、もし今自分が家族と仲良いと思っている人でも、この記事は参考になります。「もしかしたら自分に当てはまるかも」と思って読んでみてください。
完璧な家族はどこにも居ません。
人である以上、かならず不完全なところや短所があります。
ですが、それがあってこそ我々の人生が輝きます。
今日はそのことを含めて、この記事を書いていこうと思います。
家族は人生の全分野に影響を及ぼす
まず、彼は過去に女性に関する悩みをいくつか私に相談してくれたことがあります。
それら全ての根源が愛情飢餓…もっと言えば見捨てられたという気持ちです。
おそらく、彼はとてもお母さんが好きだった。けれどそのお母さんが思春期に出ていった。
それまで生きていた現実と違う現実がある日引き起こった。安全じゃなくなった。
きっとそういうことがあったのだと思います。
そうして埋まらない寂しさや不安が、彼の中に産まれた。バケツの底に穴が開いたように。
彼が、女性に関する大きな悩みを相談してくれた時に伝えました。
「それを裁かないで、時間がかかっていいので、そのままにして、ぐるぐるさせておいてください。」
と。
彼は見捨てられた過去があった。だから、大事にされれば大事にされるほど、見捨てられるような行動を取ってしまう。
どこかで「自分は必要とされない」という答え合わせの為に現実を使ってしまう。
それを彼女、人生のパートナーにやってしまう。
近くなった相手にやってしまう。
下手をすればお客さんや、仕事仲間にもしてしまうかも知れない。
家族の問題は、こうしていつの間にか人生の全分野に影響を及ぼしています。
彼は、引き起こった現実があまりに辛過ぎたので、それを受け止めることがこれまでできなかった。どうにかこうにか自分を色々な方法で納得させることで現実から目を背けていた。
ですが直近の相談で、彼はそのことにゆっくりと、誠実に向き合いました。その結果、自分の中にある色々な感情に気付くことができ、お母さんとの対話に至ったのだと思います。
我々にとって人付き合いのベースは家族です。
家族をロールモデルにして、人生の人間関係を築きます。
逆に言えば、家族との人間関係が悪い人は、人生の人間関係が不健全なことが多いです。
「川の上流が汚れていれば、川の下流も汚れてしまう」という単純な話です。
だから我々は、人間関係に対する問題を発見した時に、自分自身だけに目を向けるのではなくそのことの源に目を向けた方が、より根本的な解決をできることがあります。
スポーツで言えば「そもそもずっと間違っていた、自分の気付いていないクセを見直す」と言えばわかりやすいかもしれません。
それがどれだけ効果の大きいことか、なんとなく想像できますよね?
だから、彼が家族と話したということは、彼の人生にとってとても大きな変化をもたらすでしょう。
自分は必要とされないという思い込み
家族との関係に不健全さを持つ人は「自分は必要とされない」という思い込みを持ちます。
そして、それを克服するために色々な努力をします。
仕事のスキルを身に着ける。
お金を頑張って稼ぐ。
権威を身に着ける。
ステータスある友人と付き合う。
隣において誇らしい異性と付き合う。
けれど、それで心が満たされることはありません。
それが、愛情飢餓です。
自分はこうなったら!これを手に入れたら愛されて貰える!
人はそう思うから、努力をします。
ですが、その努力を1年やって叶わないなら、その理想は叶いません。
いくらやっても時間の無駄です。
ですが、SNSなどの社会の発達により「こうしたら愛される」という間違った発信が世の中には蔓延しています。
だから、人は間違った努力をして、飢餓感を抱えたまま生きることになる。
愛されない、安心できないことに苦しむのは、何かを手に入れようとするからです。
もう一度言います。
愛されない、安心できないことに苦しむのは、何かを手に入れようとするからです。
もう一度だけ言います。
愛されない、安心できないことに苦しむのは、何かを手に入れようとするからです。
所有すれば失う恐れが発生します。
つまり、所有すればするほど恐れが大きくなります。
だから、努力して何かを得れば得るほど、どこかで脅かされる感覚が増えるのは当然のことなのです。
そうして人は、どれだけ多くのものを手にしても「結局必要とされていない」という答え合わせをします。恋愛や、仕事を使ってね。
お金を持ってるけど、ステータスはあるけど、美貌を持ってるけど幸せになれない、そんな人が世の中に沢山います。
それは、愛情飢餓から何かを所有することで自分の身を守ろうとするところから始まってるんですよ、ということです。
何かを所有しないと自分を守れないような、自分の心の弱さに目を向けなければ問題は解決しない、ということです。
彼が「やめた」こと
彼はこう書いています。
彼は、何かを新しく得るのではなく、この瞬間に「やめた」のです。
何をでしょうか。
そう。冒頭にもある『人生の犠牲者』です。
どうせ自分は愛されないとか、
どうせ自分は必要とされないとか、
家族に愛されなかったからとか、
母親は家から出ていったとか、
父はこうで兄はこうだったとか、
こんな家族に産まれたとか、
そういうのを全部捨てて、自ら勇気を出してお母さんに会いに行ったのです。
人生の犠牲者の人はいつも心の中で「アイツにあれをやられたから」と思っています。
そうして能動性を捨て、不幸に耐えるだけの人生を送ります。
違う。
そのひねくれた姿勢が自分の不幸を作っているのです。
誰がなんと言おうと、どんな状況だろうと、自分が納得しようがしまいが、そういうのを全部横に置いて自分ができることをするのです。
彼はこう書いてますが、私にはわかります。
彼は大きな選択をした。勇気が必要だった。恐怖を乗り越えたのだと。
我々は犠牲者であることに執着があります。
誰かを恨んで、憎んで、そのままの状況でいることで、周囲には同意してもらい、自分は努力しなくてよく、何の責任も人生で取る必要がないからです。
彼はその精神の報酬が貰える大金山を捨てて、自ら愛することを選んだのです。
それがどれだけ偉大なことか、わかりますか?
多くの人が同じことをしないでしょう。
犠牲者の大金山から下りることはしないでしょう。
ですが、彼はそのことをやめ、お母さんに会いに行きました。
これを奇跡と呼びます。
彼が勇気を出さなければ、彼の人生にこれは引き起こらなかった。
引き起こりようがないことを、彼は引き起こしたのです。
『やめる』とは、止める、一時的に停止するということではなく、完全に辞めるのです。
二度とそのことに執着しないと誓うのです。
彼は、その覚悟を得たのです。
「やめた」後に気付く事
彼はこうも書いています。
犠牲者を辞めて、現実に触れた時に、彼は気付きます。
既に、自分の欲しいものは与えられていたことに。
飢餓感があり、そこから問題が発生すると思っていた。
そのことは、全部家族のせいだと思っていた。
それは違うのだと。
既に自分の欲しいものは存在し、そこから目を背けた自分が居るだけだ。
辛い現実に直面して、ひねくれた自分が居るだけだ。
既に自分が必要とするものは自分の現実の中にあり、自分がそのことを受け取る準備をしていなかった。
彼は、お母さんとの対話の中でそれに気付いたはずです。
理想を叶えるヒントはどこにある?
どうやったら夢や理想を叶えられるんですか?
そういう質問をされることがあります。
答えはシンプルです。
思い通りにならないところに答えはあります。
どういうことか?
我々は望む現実を望む形で与えられるどころか、反対側の現象を突き付けられ、それを克服する形で手に入れることを求められます。
つまり、与えられるのを望むのではなく、自分の気に入らないことや苦難を通じて自分を訓練する中で、自分の夢や理想を叶える能力が手に入るのです。 ※この一連の文章だけで100万貰ってもいいくらいだぞオイ
例外はありません。
私の好きな詩があるので、そちらを紹介します。
わかりますか?
現実は貴方の思い通りにはなりません。
なんだったら嫌なことすら引き起こします。
ですが、それを克服する過程にのみ、貴方の望むものはあるのです。
そのことから逃げれば逃げるほど、我々は苦しみます。
大事なことは勇気を出して、怖いことや嫌だなと思うことに、あえて近寄っていってみることです。
その中に、答えがあります。
望んだ現実を引き起こすこと
そして、彼はこう書いています。
どうでしょうか。
先ほどの、神の慮りそのものではないでしょうか。
彼は、彼の望まない現実を生きてきた。
彼は、望まない現実を克服して生きてきた。
彼は、望まない現実を克服する力が、望まない現実から来ていることに気付いた。
望まない現実と自分が思っていたことこそが、自分の望む現実を叶える種だったのです。
もちろん、辛い過去がなければ幸せな未来を望むこともなかったかも知れません。プラマイゼロだよ、という話かも知れません。
ですが、それを超えた時の風景の感動は、何にも代え難いものです。
我々は何のために生きているか?
その感動を得ることと、それを人に伝えるために生きているのかも知れません。
だって、我々が生まれてくる以上、我々と同じような想いをする人はどうやったって出てくるんです。
だったら、自分で自分を幸せにできた方がいいでしょう。
そのヒントはすべて、既に貴方は手にしているということ。
そのヒントは、望まない現実の中にあること。
貴方が望まない現実を克服していく中でのみ、貴方が望むものを手にします。
夢や理想を叶えるヒントも過程も全て貴方は手にしており、最後のピースに必要なのは、貴方の少しの勇気と行動だけなのです。
最後に
彼はこう結んでいます。
たまにセッションで「あることに気付きなさい」ということをお伝えするのですが、それはまさにこういうことです。
彼はもしかしたら、凡人であることを否定していたかも知れない。
自分が何者でもないということを受け入れたくなかったかも知れない。
だけど、だからこその恩恵があった。
自分の望むすべての願いは、いつも自分の望まない道筋を通って実現します。
我々の人生には既にすべてが存在し、欠けているものはありません。
後は、それに気付き、自分がそのことを活かして生きていくこと。
それが重要であることを、彼が教えてくれたように思います。
まだまだ見えていない、足元にいる青い鳥を、この文章を読んでいる貴方が見つけてくれることを願ってます。
以上です。お読み頂きありがとうございました。
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