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『情熱』を見つけたいあなたへ

「私だけの特別な情熱ってなんだろう?」
みなさんはそんな想いを抱いたことはないでしょうか?

歴史に名を残すような偉人、メディアで取り上げられるような有名人、ビジネスで圧倒的な結果を出している同世代のビジネスパーソン etc...
常人とはかけ離れた成果を出す人の話を聞くにつれ、自分の境遇と比べて自己嫌悪に陥ったりしたことはないでしょうか?

いつの世も、輝いているスーパーマン・ウーマン達を見てみると、並々ならぬ心のエネルギー = 情熱を原動力にして素晴らしい結果を出しているように見えます。

「じゃあ、そんな情熱、僕にあるんだっけ?」
「どうやったら、そんな燃えるような情熱が見つかるんだろうか?」

30を過ぎてもこんなことを考えているなんて、自分でもこじらせてるなぁ。。。
と思わなくもないですが、ずっと悩んできたからこそ分かることもあったので、せっかくなので文章にまとめてみたいと思います。
稚拙な考えが多いかもしれませんが、同じように自分の人生をどうしていきたいかに思い悩む人が、このnoteを読んだ時に少しでも参考になれば嬉しいです。

なぜ『情熱』が必要とされるのか

そもそもの問いとして、なぜ『情熱』というものが世の中では大事にされるのでしょう?
それは『情熱』というものさえあれば、毎日が充実してハッピー!というイメージがあるからではないでしょうか?

『情熱』という言葉は、人生と直結する印象が強いように思えます。
その一例として、ここではNHK大河ドラマ 「花燃ゆ」のワンシーンを取り上げてみました。

人生がつまらなくてつまらなくて仕方がないと言う高杉晋作に対して、久坂玄瑞が放つ「お前の人生がつまらんのは、お前がつまらんからじゃ!」という言葉。

吉田松陰の「志があれば罪人でも生きるんが楽しい。やる気が尽きることはない。志を立てることは全ての源です。(…中略) 志は誰も与えてくれません。君自身が見つけ、それを掲げるしかない。君は何をこころざしますか。」という台詞。

ここでの吉田松陰の言葉を解釈すると、志というものは
(1) 持っていると活力が湧き、人生を生きるのが楽しくなるもの
(2) 誰かの役に立つという要素がある
(3) 自分自身で見つけるしかない

という要素があるようです。
*(2)の要素については直接言及していませんが、松陰自身の言葉から読み取れるものとしました。

何度も見てしまうぐらい僕自身も好きな動画です。ですが、動画を見て胸が熱くなると同時に、なんだかやり切れないような気持ちにもなっていました。

『志(こころざし)』を『情熱』という言葉に捉え直して、自分の情熱はなんだろう?とずっと頭を悩ませてきたからです。振り返って考えると『情熱がない人間 = アイデンティティがない人間』というレッテルを自分自身で張って、「苦しんでいる自分」というのに酔っていたのかもしれません。もっといえば「自分の人生で思うような結果が出ていないのは、自分の情熱が見つかっていないからだ」と言い訳をしたい気持ちがあったともいえるでしょう。

でもここで立ち止まって考えてみると、そもそも本当に自分の情熱を探すことは必要なのでしょうか?『志』があれば人生は充実するかもしれません、でも逆に、『志』がなければ人生を充実させることはできないのでしょうか?

受難を意味する『情熱』

『情熱』の正体を探るために、ここでは別の角度からも考察を進めてみたいと思います。吉田松陰に代表される日本的な文脈ではなく、ヨーロッパ的な価値観では『情熱』はどう解釈できるのでしょうか?

思考を深めるための足がかりとして、まずは脳科学者の茂木健一郎氏のTwitterより、情熱(="Passion")の語源から紐解く言説をいくつか紹介したいと思います。

ここでは、先に述べた3つの要素以外では
(4) 苦難を乗り越えようとする姿勢や想いを情熱と呼ぶ
という特徴が挙げられています。

最初にヨーロッパ的な価値観では、、、と前置きしましたが、黒人の公民権運動を推し進めたキング牧師、アメリカで女性や少数者の権利を強力に擁護したギンズバーグ判事など、情熱と受難が表裏一体であることをその生き様で示した人物の例は日本でも馴染み深く、日本人にとってもこの「情熱=受難」という考え方は広く受け入れらているように感じます。

『情熱』の分類

今まで挙げた情熱の特性をまとめると、以下のようになります。

(1) 持っていると活力が湧き、人生を生きるのが楽しくなるもの
(2) 誰かの役に立つという要素がある
(3) 自分自身で見つけるしかない
(4) 苦難を乗り越えようとする姿勢や想いを情熱と呼ぶ

改めて眺めてみると、一見矛盾するような要素があるように感じるかもしれません。「自分のためか <-> 他者のためか」という対象について、「楽しくなる <-> 苦難の道」という情熱に付随する感情について、それぞれ相反する部分があるようです。このように『情熱』に幅広いイメージがあることが、自分の『情熱』を探す際に混乱する元になるのではと考えました。

このイメージについて、縦軸を情熱の対象、横軸を感情の正負として、情熱を四象限で整理してみたのが以下の図です。

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自分の『情熱』を言語化する際は、この第一から第四のどの象限に属しているのか?ということを考えると、とっかかりを見つけやすいのかもしれません。

『情熱』の各象限の違いについて

この情熱の四象限で示すイメージをより深掘りしていきたいと思います。

第一象限:社会の傷を癒すヒーロー型
発想の根幹に苦難があり、対象を広く社会全体とする情熱を『ヒーロー型の情熱』と名付けました。イメージとしては、貧困や差別、環境問題など大きな社会問題に対しての情熱を持つ人々です。
第二象限:社会を明るくするエンターテイナー型
社会をより良くするという前向きな気持ちを持ってことを進める情熱を『エンターテイナー型』としました。より良いサービス、より良いプロダクトを作って多くの人を喜ばせるという気持ちを持つ、事業家がイメージとしてあります。
第三象限:自分の好奇心や満足度を高めるよう動く自己関心追求型
「こういうことがしたい!」など自分の興味や関心をエネルギーとして突き進むタイプは「自己関心追求型」と言えるかもしれません。こういったタイプは過去には自己中心的だと言われることもあったかもしれませんが、これからの時代においては『自分が心地よい状態を追求する気持ち』も立派な『情熱』として認識するのが大切なのではと思います。
第四象限:自分のトラウマや悲しみを癒す自己治療型
過去に心が傷つくようなこと・辛いことがあった際に、そのトラウマや悲しい気持ちを埋めるかのように衝動が湧くタイプを『自己治療型』と名付けました。この自己治療型の情熱を持っている人は、過去の原体験をバネにして突き進む力を持っている人が多いように思えます。

もちろん、情熱というものがこの4つの分類に綺麗に収まるものではなく、隣の領域に染み出すように領域をまたぐような形の情熱を持つ方が多いかもしれません。ただ、大枠でも自分がどういった感情や気持ちを持っているかを客観的に見ると、自分のやりたいことや、今やっていることをより上手く言語化できるのではと感じます。

『情熱』を見つけていくための小さなステップ

ヒーロー型(第一象限)やエンターテイナー型(第二象限)のような、大きくてキラキラした情熱を見つけて、それを最初から自分の人生の夢として掲げることができる人もいるかもしれません。でも、大きく心が燃えるような対象がすぐには見つからない、私も含めた一般人はどうしていけばいいのでしょうか?

身もふたもないですが、結論としては『小さな行動を積み重ねていって、大きな情熱を作っていく』ということしかないと思います。

しかし、ここで重要なポイントとしては『まずは自分自身のことだけにフォーカスして、自分の心や感情が満たされるように動いてみる』ということを挙げたいと思います。つまり、他者に貢献するとか、社会の役に立つとかいう気持ちは一旦全部捨ててしまう!ということです。

これは私自身も引っかかってしまった点ですが、『情熱』や『志』というものは社会貢献に繋がっていなければならない!という気持ちが強すぎて、「自分の気持ちはなんとなく分かる気もするけど、結局何の意味があるねんねんやろ。。。」と自分自身で否定しまうことがありました。でも、まずは自分自身の気持ちを満たすことから始め、そこから他者の気持ちを満たすように広げていく。小さな一歩を積み重ねていくことで、自然に思えるようになりました。

情熱というものは不変のものではなく、生物のように変化し成長していくものなのかもしれません。最初は小さな情熱も、時間をかけて育むことで色濃いものに醸成していくことが可能ではないでしょうか。

最初は自分自身の楽しみのためにしていたことが、他の人も楽しませるようになり、やがて社会の大きな課題を癒すような情熱に育ったり、

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もしくは、自分自身のトラウマと向き合う中で、似たような境遇の人を助け、そこから大きなポジティブな社会運動に繋がるかもしれません。

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情熱を見つけるという行為は、偶然に宝物を見つけだすというような行為なのではなく、ニスを薄く塗り重ねていく中で自分らしい色を作り上げていくという行為に似ているのかもしれません。

おわりに

『情熱』というものは時に「目標」や「夢」と言い換えられることがあるかもしれません。しかし私は、『情熱』というものは人が感じる気持ちや感情のことだと、もっとシンプルに捉えて良いのではと考えます。

だからこそ、その本質的な価値は「達成すること」ではなく、その過程にこそ意味を見出すことができるものなのではないでしょうか。自分の人生を彩り豊かに過ごすための一つの要素として、肩肘はらずに自然体で向き合うことが大切なのかもしれません。

長々と文章を書きましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
内容に飛躍や足りない部分があるかもしれませんが、このnoteが皆様の「情熱」を見つけるための一助になれば幸いです。

ぜひ、本記事を読んでの感想や、皆さんの情熱観についてコメントいただけると嬉しいです!

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