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2022年11月14日 柱の傷みたいに

  • 懐かしさに浸りたくて、昔やってた卓球用品の通販を見ていた。上手くもないのに、こんなにも高い用具を親にねだっては買わせてプレイしていたんだと痛感。目眩がした。郷愁やら回顧に浸りたかったはずなのに、胸に残ったのは後悔と懺悔の気持ちだけだった。途方もないくらいに不義理なことを沢山して育ってきたんだ。自分の後ろの道には何が転がっているのか、これからはなるべく見ないように生きていかなくちゃ。

  • 自分の心の揺れ、痛みでしか主観的な物事は測れない気がする。誰かに負担を強いたこと、誰かを傷つけたことで量るべきところの重さを、結局のところ自分側の天秤皿の高さで判断している。合理化された自分の記憶の分銅が負けたときだけ、自分の中で罪悪感で釣り合いを取ろうとしているような。

  • 後ろに道がある。みたいな書き方をしたけど、いつもおんなじところで足踏みをしている感覚もある。僕の成長って進むじゃなくて留まった上での時間経過なのかもしれない。万歩計で計るより、きっと柱傷のほうが見返せる人生なんだろう。

  • 傷ついた記憶しか僕のメモリに残らないのは、柱傷として残ったものを、指でなぞって確認しているからかもしれない。その柱傷の横に傷ついたときの自分がなんて書いたのかなんて、僕はきっと目を向けていないのだ。

  • その傷の殆どが、誰かを傷つけた跳ね返り傷なんだろうなと思う。自傷じみたことを言うようになったのは割に最近のことだから、成長の記録には残っていないだろう。

  • 成長ってなんですか?→誰かを傷つけて、その跳ね返りだけで自分ごとにすることです


  • 好きなものor趣味or休日にしてることってなんですか?って案外色んなところで言う必要がある。その度に自分は適当に答えるように努めているが、その質問で「何」まで得ようとしているのかは考えてしまう。

  • 正直、上に上げた3つについては、個人的には割にどんな相手でも気にならない。肉親兄弟でさえどうでもいいと思う。何が好きでもいいし、何が嫌いでもいい。

  • 多分、聞いている人も「それ」自体はどうでもよくて、暮らし向き、趣向をそれから想像して、人間性、傾向の理解(おおまかに)をして、そこから会話の糸口を掴もうとしている。それはわかる。

  • だとして何を答えるべきなのか。人に言えるようなことが一つとしてない人間はどうすればいいのか。やることなくてnoteでくだを巻いてます。人に言えないよこんなことは。

  • なんにも聞かないでほしい、本音では。聞かれると人を見て応答を変えてしまうタイプの人間なので、やり取りに意味がなくなってしまう。誰に対しても「なんもしてないっす。生きてるだけ」とか言えたらどんなに楽なのか。言わないと思うけど、言える性格でも。


  • 実家の祖母に「彼女いねーのか」って言われた。そして「ひ孫見るまで死ねねぇわ」みたいなことも言われた。「いるわけねぇべ」って電話を切った。本当はもっと口汚いことをたくさん思いついたけど、言わないでおいた。

  • 飲み込んだ喉が痛み始めた。

  • 誰かを傷つけなかった記憶を、都合よく覚えていられる理由がわかった気がした。

  • 僕は優しい人です。


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