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ルーツ的なもの

こんにちは、Tidyです。
間が空いての3本目です。

唐突な話ですが、よく変人扱いされます。
「失敬な!」とは思わず、「まぁ、違うのだろうな」と思います。なぜ人と違うのか自分で分析する気もないのですが、「どんな両親のもとでどう育つとこうなるのか?」という質問(?)もよくされるので、折角なので両親の血筋を見てみましょう。

父方: 泰道(たいどう)

珍しい苗字で同じ苗字は親族しかいないそうです。営業職をしていると名前のユニークさは一つの利点になりますが、電話で名前を聞かれると「カイドウ」とか「ダイドー」とかを修正するのが面倒くさいですし、漢字を聞かれても「泰」とか説明し難いです。

かなり脇道に逸れましたが、この泰道というのは平家の落人らしいです。「らしいです」というのは生前この話を祖父から聞いただけで、どこかに家系図もあるようなのですが手元にそんなものがないので「らしい」としか言いようがありません。本家は三重にあって、祖父と祖父の兄弟が東京に出てきて別々に事業を興しました。祖父も日本橋にビルを建ててはいるのですが、祖父の兄弟の家系の方が有名なので持ってきてみました。

どこまで書いて良いのか?

一時期「泰道財閥」などと呼称されていた時期もあるようですが、バブル崩壊あたりと共にほぼ消失します。どこかに隠し遺産でもあれば良いのですが、どうもそのようなものはないようです。何を伝えたいか画像インパクトが強すぎてなんですが、祖父も祖父の兄弟も起業家で、その息子たちは家督を継いだか、或いは私の父のように独立して起業したりとサラリーマンがあまりいない家系に育ったようです。

親族会などもあり上場企業の社長と距離感も近く、いろいろな話をすることができた幼少期のインプットが人格形成に少し影響を及ぼしたのかもしれません。知りませんが。

母型:村上(むらかみ)

こちらはさして珍しい苗字では有りません。

 

"村上随憲"という人の直系(母の兄が)なのですが、随憲は蘭方医学者シーボルトさんの弟子で日本に医学を広めた1人のようです。高野長英と仲が良かったようで、大量の手紙が実家の屋根裏部屋から出没しました。息子ははっちゃけすぎて京都に祀られています。母方の実家はスポーツ用品店ですが、従姉妹が医師になりました。とくに関係ありませんね。
随憲は群馬県伊勢崎市の観光地(?)に登録されているようです。
母の実家の墓でもあって毎年墓参りしてました、不思議。
随憲の残した日記的なものも遺っているのですが、群馬県伊勢崎市と長崎県鳴滝を何度も徒歩で往復していて、一度は長崎までの道中、群馬から江戸まで出てきてから忘れ物をしたので群馬に戻ったといった記載もあって驚きました。新幹線があってもイヤです。この時代の人が今のネット環境があったらどれだけの偉業を成し得たのかと思ってしまいます。
意外とスマホゲームでもしてて、アウトプットは変わらなかったのかもしれませんが。

オチはない

そんな家系を持つ父と母が出会ったのは越後湯沢のスキー場でした。
特にそれまで知り合いだったわけでもなく、ナンパです。ただ毎年同じスキー場に1−2ヶ月滞在してたようなので、そこそこ遊んでいたものと推測されます。そんな両親の元、日本橋浜町にて生を受けたわけですが、何か私自身の「変わってる」部分を納得する一助となれば幸いです。

あ、シーボルトの弟子の文脈から、「働くひとの健康を世界中に創る」のはどうでしょう?


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