見出し画像

RADWIMPSの話題作『HINOMARU』とこれからの愛国ソング


RADWIMPSの新曲『HINOMARU』が物議をかもしている。歌詞の内容が、かつて流行した軍歌を思わせるという批判がもっぱらその中心だ。それについて、軍歌研究の専門家 辻田真佐憲さんがさっそく現代ビジネスに記事を書いている。

この記事で知ったが、ゆずも最近似たようなテイストの曲を作っていたようだ。数年前にも椎名林檎がワールドカップのテーマ曲として作った「NIPPON」が同じような理由で波紋を呼んでいた。近年、J-POPの中に見え隠れする’’愛国的’’な歌詞。このような歌詞が登場すると、「戦前を想起させる」「軍国主義的だ」という批判が挙がる一方で、「日本が好きと言って何が悪い」「日本人であることを誇ってはいけないのか」という波がカウンター的に押し寄せる。戦後長らくナショナリズムを前に出す表現そのものがタブー視されてきたことで、僕たちは愛国を想起させる物を見るだけでアレルギー反応を起こしてしまい、正面から受け入れたり、論じることすら難しくなっている。近頃、自然発生的に現れる愛国的な表現は、いい加減そういった呪縛から解放されたいという現代人のメッセージにも思える。

騒動で知り、僕も早速この曲の歌詞を読んでみた。「気高きこの御国の御霊」「さぁいざゆかん日出づる国の御名の下に」等、”それっぽい”感じは出ている。だが正直『HINOMARU』の歌詞は、そこに物語があって無いようで、ハリボテ感が否めない。全体を通してあまりこの国の歴史そのものを踏まえた世界観とは言えなそうだ。その点の違和感は専門家の辻田さんが端的に指摘している。

(リンク記事から引用― ―)
―作者は、愛国心を発露しようとして、愛国歌の構図はほぼ完全におさえた。だが、そこに当てはめる言葉の選択に失敗してしまった。そのため、この愛国歌がフェイクであり、空洞であることをかえって明らかにしてしまったのではないか。もちろん、愛国歌など突き詰めれば、すべてフェイクであり空洞ではある。だがそこに、あたかも揺るぎない国民の歴史や、世界に誇るべき大義名分があると感じさせ、フェイクや空洞を覆い隠してこそ、優れた(そしてときに本当に危険な)愛国歌なのである。―

パッと見、愛国ソングっぽいけど愛国ソングになり切れていないとバッサリ。そしてこれから日本には2020年、東京オリンピックに向け、われこそはと愛国的な音楽が登場する可能性に言及している。

―そこにはかならずしも思想信条は必要ない。国策イベントやナショナリズムに興味がなくても、作詞者、作曲者などがビジネス志向で積極的に愛国的な音楽を大量生産する―これはかつてこの国で軍歌が蔓延ったときの状況そのものだった。軍歌もまたビジネスの対象だったのであり、流行りの歌手が歌う、大手レコード会社の有力な商品のひとつだった。―

僕も2020年にかけてスポーツ熱と相まって愛国ソングは増えていくと思う。もしかしたらアイドルグループが日本人らしさや日本の誇りを歌い上げる日も近いかもしれない。コンテンツを作る側も見る側も、最初は遊び感覚でそれを盛り上げるだろう。でもそれが自然と当たり前の構成になってしまえば、それを批判することは’’空気として’’難しくなっていく。「○○君or○○ちゃん(アイドル名)が好きな日本を、わたしor俺も愛してる!」。そうなれば、かつてタブー視されてきた愛国コンテンツは、抑圧されてきたコンプレックスの発露としてポスト平成に返り咲くことになるだろう。誰かが上から押し付けるわけではなく、みんながムーブメントとして作り出す「この国のかたち」。国のカラーを全面に押し出すオリンピックという祭典に向けて、その準備は少しずつ始まっているのかもしれない。

#日の丸 #hinomaru #日出づる国 #ナショナリズム #流行 #音楽 #歴史

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?