兼松講堂

「日本軍兵士」著者の講演を聴く

「その年、最高の一冊」として2019年に新書大賞を受賞した日本軍兵士という本が話題になった。新書で、しかもアジア・太平洋戦争において日本兵が置かれた過酷な現実について書かれた本が20万部ほど売り上げたというから驚きだ。

僕も、ずいぶん前にこの本を手に取って、noteに感じた事を書き留めた

著者の吉田裕(よしだゆたか)さんは日本近代史の中でも軍事史を研究する第一人者。先日、大学を退官されるに当たっての最終公演に足を運んだ。

兼松講堂2

場所は一橋大学、兼松講堂。(実は有名な近代建築でもあるのだが、内容がブレてしまうので今日はそっちの話はやめておこう. . .。)

写真の列からも分かるように長い列ができていた。レジュメ500部がなくなったとアナウンスがあったので、予想を超えた人数が集まったようだ。びっくり。

以下、聴講した中で印象的だった部分をまとめたい。

軍事史研究そのものが戦後長らく批判の対象だった
吉田さんはご自身の人生(1954年生)に重ねて、戦後歴史学の中で戦争や軍事がどのように扱われていたか、そしてその中でどのようにキャリアを積まれてきたかを語った。大学時代に師事したのは「餓死した英霊たち」などを書いた藤原彰氏で、「50年以上経たなければ客観的な評価は下せないから歴史研究の対象にはできない」とされていた時代に初めて近代史を研究した世代に当たる。
「軍事」を平和・民主主義の対極にあたるものとして、軍事史という分野は専ら旧軍人や自衛隊関係者によってまとめられていた。「戦場・戦争のリアル」に目を向けない傾向があった。
そんな時代に幼少期を送った吉田さんは今風に言えばミリオタ(軍事マニア)のような少年だったそうだ。そのころは、「戦記モノ」と言って今でも続いているマンガ雑誌、少年マガジンや少年サンデーには勇敢に戦う日本軍を描いた作品が多かった。表紙を見ると、勇ましく飛ぶゼロ戦や戦艦が描かれているのがふつうだった。当時の男の子文化としてそうした「闘い」というのはきわめて魅力的なものであった。
大学時代に防衛庁に通い史料にあたったが、その当時は雑然とした場所で史料が整理されていなかった。目黒に移転した後にようやく閲覧室ができて、研究がしやすくなった。
これから退官後は東京裁判について調べたい。そして兵士の記録が「遺品整理」によって捨てられてしまうことを懸念している。近頃は専門業者に委託している場合も多く、兵士たちが記した大切な日記が無くなってしまう。文章が苦手だった人の場合は絵を描いていた人もたくさんいた。


直接講演を聴くことで、本の内容が改めて深く入ってくる

僕は最近になって趣味の建築史などもふくめて著名な先生の講演に足を運ぶ機会が増えた。いつも感じるのは「話し言葉」で聴くことで知っている情報がまた違うカタチで自分の中に入ってくるということ。淡々と続く文章ではいくら文字を太字にしたとしても、こちらの感受性がなければある部分だけが深く入ってくることはあまりない。対して講演となると先生がずっと大事に温めている思いや問題意識が強く伝わってくるし、何よりまず人柄が分かる。軍事史研究の第一人者という一見イカツい肩書とは裏腹に、吉田さんは非常にユーモアのある方で、会場を何度も笑いに包んでいたのが印象的だった。「これはわたしが小学校3年生の時に描いた戦艦大和の絵ですが、この大和は実によく特徴をとらえて描かれているのが分かります!(会場笑)」と言った具合だ。

また、学校など公の場では平和主義が支配的で、そうしたところで抑圧された少年の気持ちが戦記モノを読む事で発散されていたなど、当時の男の子の等身大の体験を直に聞けたのは面白かった。そして高校世界史の先生が面白く、歴史学を志すきっかけになったと語っていて、やはりそういった良い先生に当たるかどうかは人生を左右するなと思った。誰にとっても人との出会いは大きいんだ。

noteでもこちらで元ゼミ生と対談されている記事がある。若手研究者との話の中で昨今の世の中の状況、ネットでの歴史をめぐる動向など幅広く分野を超えたセッションになっていて、研究者が何を感じながら歴史に向き合っているのが分かって面白い。文章もライトだし、ぜひ読んでみてほしい。


研究の動機は戦争の不条理さ、残酷さに対する怒り。怒りを成熟して「すんだ怒り・静かな怒り」に転化させていくのが研究者の仕事だと思う。

最期に、吉田さんが語った言葉は何とも重厚な響きを持っていた。昭和という時代でありながら、戦前とはまるっきり価値観が異なる戦後という時代を生きながら逆風の中で戦争について問い続けてきた大家の言葉であった。

#日本軍兵士 #吉田裕 #戦争 #兵士 #軍事




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