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モダニズム建築ってなんだ?

今回の建築巡りは上野~東京。湯島の岩崎邸のあとは、同じ敷地にある資料館にも足を運んでみた。

近現代建築資料館という施設で、岩崎邸の入場料(400円)を払えばセットで入ることができる。

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『吉田鉄郎の近代 モダニズムと伝統の架け橋』

吉田鉄郎は今回見た企画展ではじめて知った。戦前の時代に郵便局などを数多く手がけた建築家だったそうだ。それにしてもタイトルにあるモダニズムとはいったいどんな時代だったのか、耳にする単語ではあるけれど、いまいちつかみどころが分からない表現だ。資料館公式HPの説明を見てみると、

彼が活躍した1920年代から1950年代初頭は、日本に限らず世界中で、いかに「近代」を空間的に、建築的に表現するかが問われた時代でした。

どうやらモダニズムというのは時代そのものの事ではなく、時代を建築に映し出す、というアプローチの事を指すらしい。

この辺りの区分けについては以前、建築史家の倉方俊輔先生に直接質問したことがあった。先生曰く、日本の建築物についての分け方は近代建築=近代に作られた建築物全般、そしてそれ以降(戦後)についてはモダニズムに分類されるそうだ。

そう考えると、吉田鉄郎の取り組みはずいぶんと時代に先駆けていたということだろうか。会場にはたくさんの図面が展示されていたけど、どれも西洋のものとも日本風とも言えない、シンプルな作品で、僕は直感的にドイツのバウハウスを連想した。
それから展示内に盛んに出てきたのが逓信モダニズムという単語。吉田は郵便局を作ったと書いたけど、彼は大学卒業後、逓信省(ていしんしょう)という機関で建築家として働いていた。この逓信という字、何やら見慣れない言葉だけど、英語にするとMinistry of Communications、つまり通信や情報に関することをまとめる組織ということだ。現代では総務省・日本郵政・NTTが後継に当たる。

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この東京都庁案はなんだか不思議な魅力を放っていた。一見すると学校みたいな平凡な建物にも見えるけど、図面には上部の時計が大きく描かれていて、電車の窓から一度観たら忘れないなと思った。実現には至らなかったのは、戦後という時代からだろうか、きっとこの頃は明るい未来を想像できるような勇気が出る力強い建築が求められていたのかもしれない。

そんな事を考えながら一通り展示を見終え、いよいよ東京へ向かう。このルートを選んだのはここから吉田鉄郎の作品を実際に見に行くためだ。彼がどんな建物を建てたのか、今でもその作品は東京のど真ん中で見ることができる。

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丸の内 大正(東京駅)と昭和(東京中央郵便局)の2大作品コラボだ!

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やってきたのは現在はKITTEという商業施設に生まれ変わった、かつての東京中央郵便局

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引きでも近づいても感じるモノトーンなかっこよさ!

上部は高層化されて、一部の外観だけ生き残った。モダニズム建築は高層ビルとの相性もいいね。ドイツのフランクフルトに行った時、こういった建築が街の中にたくさんあった。
ドイツの建築家、ブルーノ・タウトはこの郵便局を見て「モダニズムの傑作」と称賛したらしい。それを聞くと改めてドイツと日本にはどこか通じるものがありそうだ。最も、当の本人は「日本中に平凡な建築をたくさん建てたよ」と漏らしていたんだと。謙遜の仕方がこれまた日本人らしいな。

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KITTE館内 4Fより

中に入ると、リニューアルのされ方がまたかっこいい。なんだかここ最近の日本はリノベの仕方がかっこよくなったんじゃないか?
向かって正面の白い部分はオリジナルのもの。柱の形をこうやって鑑賞できるなんてオシャレじゃないか。実は中央吹き抜け部分には地面に八角形の黒いマークが並んでいる。これは、かつてオリジナルの建物の柱があった場所を示している。よく見るとそんな仕掛けまであるんだ。昔の姿を想像できるっていうのがまた楽しみが増えて良い。せっかくここに来るなら買い物だけじゃなくて建物も是非見てほしい。

ガイドブックで後から知ったのは向かって右の部分は隈研吾のデザインらしい、ずいぶん豪華なラインナップだなぁ。それにしてもどこに行っても隈研吾の名前が出てくるようになったものだ。

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4F局長室からは、ダイナミックな東京駅!昭和から見る大正だ

4Fには郵便局時代の局長室が当時の素材を使って再現されている。手紙を書いたり、座れるスペースもあるので買い物に疲れたらここで一休みするのもアリ。木目調の室内は照明も落ち着いていてくつろげるし、何より外の景色をよりじっくり見ることができる。東京駅の絶好のビュースポットだ。

前回の岩崎邸を手掛けたお雇い外国人ジョサイア・コンドル、そこで見たのはまだまだ日本人には本格的な建築技術がなかった明治という時代。そこからたった数十年でこんなに立派なものを作る技術を手に入れた日本。技術という面で観た時に近代日本が放つ輝きには底知れないものがあると思う。窓の外を眺めながらそんな事を考えると、無性に熱くなるものがあった。


さて舞台は上野から移ってここ丸の内。今でこそ世界有数のオフィス街になっている丸の内だけれど、時代をさかのぼるとこの場所は華やかなイメージとは全く違う姿だった。実は、ここでも登場するのが三菱&コンドルのコンビ。彼らがどのようにして丸の内を育てていったのか、次回はそのあたりにふれたい。

つづく

#建築 #歴史 #近代 #モダニズム #街歩き



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