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路地裏に流れ着き、拾われてわたしは踊る。

(本日は内容と時間を変更してお送り致します)

#なんのはなしですか

今やnoteのアクティブユーザーでこのタグの存在を知らない者はいないのではないだろうか。
これまで数多くのタグを記事に貼ってきたが、わたしにとってこのタグは、今のわたしを作った特別なものである。
そして、これからも何よりも特別で、大切で、大好きなものであり続ける。

わたしは今年の3月中旬にここ、noteの街(わたしの感覚では大海原なんだけれども)に降り立った。否、派手な水しぶきをあげて無様に着水した。
自分の生き方に迷い、約30万円のセルフコーチング講座に申し込んだ直後だった。
高額な買い物をした後特有の、ハイで危険な万能感のままアカウントを作った。
コーチングで自分を深め、自分と繋がり、新たな自分に生まれ変わる。
そんな過程をつづっていきたいと思ったこともあり、比較的品行方正な記事ばかり書いてきた。
その頃の記事は、今読み返すと恐ろしくつまらなく、なんの身にもならない。
自戒のために削除せず、下書きにもせず、そのまま置いてある。

ここに着水して1ヶ月ほどした頃だろうか、おすすめに出てきた記事をなんとはなしに読むと、口元が自然と緩んだ。
ニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべている自分がそこにいた。
5.42inchの画面の中に広がる、いい子ちゃんモードの自分の記事とは別次元の世界。
その記事の末尾に、「 #なんのはなしですか  」が燦然と輝いていた。
これがわたしとなんのはなしですかの出会いである。

早速、自分のなんのはなしか分からない記事でも使ってみた。
投稿する前に、既に2通出ていた「なんのはなしです課」通信と紹介されている記事を読み込んだ。間違いをおかしてはいけないと思った。
それでも
「え? これでいいの?  使い方合ってる?」
「その界隈にいる訳でもないニワカなのに、勝手に使っていいの?  無視されるかも」
そんな気持ちは消えず、もしかしたらこれが最初で最後のなんのはなしですか使用になるかも、と思いながら投稿ボタンを押したことを覚えている。
当時のわたしは、品行方正、いい子ちゃん路線に早くも倦んでいた。
それはわたしの本性ではなかったからである。
本音を綴っているつもりではあったが、わたしの人格とは微妙にズレた語り口でもあり、モヤモヤしながら更新を続けていた。
楽しいことは楽しかった。でもそれは、船底に穴が空いていることに気づかず、呑気に遊んでいるようなものだったと、今振り返ると思う。
「なんのはなしですか」は、楽しく溺死しかけているわたしを救ってくれるかもしれない。そんな打算もあった。

投稿から数時間後、コニシ木の子氏からコメントがあり、わたしの記事が回収されたことを知った。

これでよかったんだ。わたしは許された。
そんなふうに思った。
だが、今となってはそんな気持ち自体が勘違いであったと言える。
コニシ氏は「全て受け入れると決め事をした」と述べているからである。

わたしの初めての「なんのはなしですか」記事は、通信の3通目に無事おさめられた。
その紹介文を、以下に引用する。

めぐみ ティコさんです。初めましてだったので変な人だと思われたらどうしようかと思いながら、気持ち悪いコメントをしてみました。優しく対応してくれてブロックされずにすみました。感謝いたします。めぐみ ティコさんは、心に貴婦人を飼い、黒柳徹子を目指し、ボイトレに通う先生みたいです。そんな先生に出会ったこと無かったので、とりあえず子供に報告してみました。「その先生が良い」と言っていました。本当に言いたいことは書かずとも伝えられ、人が楽しめるように書くことが出来る人の記事を読むのは面白いと、私もそう思います。思考の深掘りを楽しんで書いていて、楽しい書き方するなとこれは必然的なまたもやラッキーな出会いでした。

「なんのはなしです課」通信 物語の三通目より

なんて素敵な人!
この時の通信におさめられていた記事は、ひとつだけ。
それなのに、過去の記事の内容にも触れ、わたし自身のことを紹介してくださっている。
それには、こんな理由があったようだ。

その一人一人が手探りなため如何に面白く紹介するか「徹底的にその人の記事を読み込み」どこまでだったら許してくれるのかの境界線を探しながら挑戦します。(中略)私が必ずコメントに行くこと、回収することで「何を書いても大丈夫だ」という担保のためです。

三年間。no+eの街の路地裏で「なんのはなしですか」と叫んでいた。より

兎にも角にも、この瞬間に、わたしはコニシ木の子その人に惚れた。

それから毎週、どんななんのはなしかわからないはなしをしようかと、ワクワクしながら考えるようになった。
タグをつける記事は週に2本、3本と増えていき、その度にわたしは自由になっていった。
他の方の記事にわたしが共鳴し、わたしの記事に誰かが共鳴してくれる。
全く知らなかった人と、リレー小説を紡ぐ。
そんな経験を、「なんのはなしですか」でさせてもらっている。
気がつけば日常生活のあらゆる瞬間に「これ、なんのはなしですかって言いながら記事書ける」と感じるようになっていた。
寝ても覚めても「なんのはなしですか」。これはもはや恋だと思った。

今のわたしを作った瞬間というものを、「ここです」とはっきり言うことができる。
通信の十通目に向け、ひとり勝手に「なんのはなしですか強化週間」と銘打ち、毎日なんのはなしですか、な記事を書くと心に誓った。
その少し前に「全裸の自分で記事を書く」と決めたことも手伝い、それまでは書けなかったネタまで形にした。
品行方正、いい子のわたしはもうどこにもいない。
見られて恥ずかしいものなど何もない。
たまたま流れ着いた路地裏で、今のわたしを育ててもらった。

どこかに所属して自分を出すことも暗黒の私には出来ませんでした。この二年半の間に私に起こる感情は、妬みや嫉妬では表現出来ないどす黒い感情がずっと渦巻いていました。

三年間。no+eの街の路地裏で「なんのはなしですか」と叫んでいた。より

コニシ木の子氏は、こう述懐している。
それと同時に、初めての通信を出すにあたり、

私は、この時に決め事をします。「努めて冷静に」「なるべく私情を挟むな」「自分がのめり込むな」「強制するな」「全て受け入れろ」「タグ以外の人様の記事には触れるな」そして「書いてくれた人に対して徹底的になれ」です。

三年間。no+eの街の路地裏で「なんのはなしですか」と叫んでいた。より

このようにも述べている。
どす黒い感情渦巻く暗黒時代からこのような心境に至るにあたって、どれほどの葛藤や苦悶があったことだろう。
それはわたしには知ることもできない、果てしない道のりだったかもしれない。
しかしながら、共感はできる。
わたし自身、「子どもが産めない」ということに向き合う数年間を過ごしてきた。
マタニティマークをぶら下げた人や、赤ん坊を連れた人を見たときに腹の底にふつふつとくすぶっていた感情は、まさに「どす黒い」ものだった。
自分のペットであるトカゲが産んだ卵が孵化したときでさえ、嫉妬していた。
欲しくて欲しくてたまらないものをもつ人を見るときの、心に湧き起こる情念。
わたしにも覚えがある。
乗り越えるまでの苦しみについて語ると本稿の趣旨からは外れるので触れないが、勝手にシンパシーを感じている。
「やめろ」と言われそうだけれど。

わたしはこれからも、この愛すべき路地裏で踊り続ける。
たまにふらっと表に顔を出したときに、そこでも誰よりも目立つ文章が書ける自分になるために。

路地裏を踏み台にして、わたしはさらなる高みを目指す。
胸を張って、「路地裏に流れ着いて、拾われて、踊りまくってここまで来たんです」と言えるその日を迎えるのだ。

そんな野心を抱えながら、わたしは今日も「なんのはなしですか」とつぶやく。

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