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『聖書は神の言葉と言えるのか』

 私たちクリスチャンが、手にしている聖書ついて最も大切な話をさせていただきます。これはかつて私が信仰の大先輩から教えていただいた内容を多く引用させていただいています。井上さん、本当にありがとうございました。

キリストを信じる私たちは聖書を完全な神の言葉、正しい物差しと考えています。アメリカの大統領も大統領選が決まって就任式に臨むとき、多くは聖書に手をおいて宣誓が行われます。これは聖書を用いなければならないという決まりではなく、選ばれた大統領の自由なのです。それでも聖書が多く用いられるのは、それがアメリカ国民のなかに正しい物差しとして聖書が深く浸透しているからです。

宣誓するバラク・オバマ大統領(Wikipediaより)

大統領就任式だけでなく、法廷でも聖書を用いた宣誓を行うケースが非常に多いようです。
しかし、日本人のなかには聖書を「正しい物差し」として捉える考え方がありません。これは欧米の人たちと大きく違うところです。
では、果たして聖書は本当に神の言葉であると言えるでしょうか?


1.聖書とは

聖書は旧約聖書と新約聖書で構成されており、旧約聖書は紀元前1500年か ら紀元90年頃に渡って主にヘブライ語で書かれ執筆者は約40人にものぼります。40人は時代も置かれた立場も様々で、誰が書いたものか、はっきりと特定出来ていない部分もあります。
そして新約聖書は紀元40年頃から紀元90年頃の間にギリシャ語(一部、アラム語)書かれていてキリストと初期教会における働きが記されています。キリストの公生涯は3年半と記されており、紀元70年にはエルサレムがローマによって滅亡させられ神殿は破壊されました。そのような中、後20年間に渡って新約聖書は使徒たちによって記録されたことになります。


2.聖書の成立

実は聖書には聖典としての書簡グループに含まれなかった外典と言われる書簡が存在します。
旧約聖書は紀元前に権威あるユダヤ人教師たちによって多くの書簡から選択されて、聖典として纏められました。選択されなかった書簡の一部を外典としています。新約聖書も同様に様々な福音書や手紙が存在するなかで、教会会議を開き聖書とする書簡を後の時代に決定したのです。

旧約聖書の成立……紀元90年、ユダヤ人ラビたちによるヤムニア会議で決定
新約聖書の成立……紀元397年の第3回カルタゴ教会会議で決定

この事実をどう捉えるべきでしょうか。
批判的に解釈すると聖書は様々な書簡の寄せ集めであり、時代も背景も異なる人たちによって書かれた古い書物集ということになります。また、それらの書簡は人の手によって選択、纏められたに過ぎません。


3.聖書の原本

聖書には多くの預言が記されています。聖書の預言は一般に扱われる予言とは全く違うものですが、先に起こることを明示、実際に成就してきました。しかし、実は後に起こったことを成就したように改ざんされた可能性はないのでしょうか。
驚くかもしれませんが、聖書の書簡にはオリジナル(原本)がひとつも存在しません。石板の断片すらないのです。これにはユダヤ人の書簡保存の考え方が大きく関わっています。印刷技術が確立されたのは1450年代になってからで、それまでは書物の保存は人手によって書き写すといった地道な努力に頼っていました。聖書においてもそれは同じで、人によって書き写されてきたのです。
ただし、聖書における写本の技術は文字列と言葉とパラグラフをカウントし複雑な方法を用いて間違いを防ぐ驚異的システムを持っていました。彼らは聖典を正確に写本することに生涯をかけていたので、たったひとつの間違いでも全巻を破棄しました。さらにユダヤ人は写本の技術に絶対の信頼があったため、新しく写本が出来ると古い写本を故意に破棄したのです。聖書の比較的新しい年代の写本は数多く発見されており、それらが一致している点からも写本の信頼性は立証されています。但し、長い年月の間にミスが発生した可能性がないとは言えず、本文研究という分野で原本の回復研究がなされてきました。
その結果、細部に渡って原本との僅かながらの差異がわかってきています。しかし、だからと言って現在の聖書が修正されたかというとそうではありませんでした。決して聖書に手を加えることはしなかったのです。
(代わりにそうと考えられる個所に印がつけられています。注意してみると、日本語の聖書にも括弧で囲まれた文があったりします。)
本文研究の結果わかったことは、聖書の本質を変えるほどミスはないということでした。

ちなみに現在保管されている一番古い完全な写本はレニングラード写本で1008年に写されたとされています。この年代を聞いて驚かれるのも無理はありません。完全な写本としては、それ以前のものは存在しなかったのです。本文研究あるとはいえ、2000年以上前に書かれた原本と比較して本当に現在の聖書はオリジナルと同じものと言うには説得力に欠ける気がします。

さて、皆さんはこの聖書をどう受け止めるでしょうか。


【まとめ】

パウロは聖書について次のように記しています。

■2テモテ3:16
聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。

これが本当であれば、時代も背景も異なる人たちの様々な表現も人の手による選択もすべて、神の霊によってコントロールされ、完全なひとつの書物を完成させたということになります。聖書はこれまでに実に多くの迫害にあってきました。批判する人々の手によって矛盾や誤りを徹底的に研究されてきたのです。数千年隔てた現在もそのような目にさらされているのは変わりません。パソコンで簡単に言葉の検索が出来る現在、聖書知識がなくとも内容を自在に検索して、矛盾を見つけることは簡単になりました。
しかし、誰ひとり聖書の誤りを立証できた者はいません。

ここに聖書の真実性があります。
旧約聖書は40人の全く環境の異なる人々が書いており、その人々が相互に意思疎通した訳ではないのです。しかも、執筆していない人々によって集められ聖典とされました。ユダヤ教のラビたちがどれだけ優れていたとしても、その後2000年に渡る人々の批判的な挑戦を退けるほどの知恵を持っていたなど考えられません。
しかも、ラビたちはイエス・キリストをメシアとして受け入れていなかったのです。

40人の執筆者がひとつの方向を誤りなく指示し今も人を変え、教え、導いている書物。論理的に考えても人の手によるものではないことは明白です。また、ある時期、聖書に書かれた数々の歴代の物語は創作であると考えられていましたが、考古学の発展などによって聖書が真実を記録していることが証明されてきました。また、数々の預言の多くが後の時代で成就していることも知ることが出来ます。それどころか新約聖書の時代に起こった出来事は旧約聖書のなかに明示されており、パウロはキリストこそメシアであるとユダヤ人たちに論証してみせました。

次に原本との比較についてですが、1950年代に世紀の大発見と言われる出来事が起こりました。イスラエルの死海のほとりの洞窟で古い書簡が発見されたのです。それは極めて古い写本で死海文書と言われています。
エステル記を除く、旧約聖典全巻の断片、イザヤ書の完全写本、多くの外典やユダヤ教各派の信条などです。年代測定から紀元前200年から紀元前50年頃ということがわかりました。実に現存する写本より1000年以上も古い写本が見つかったわけです。

聖書の信憑性が試される時が来たのです。
多くの人々の関心を集めるなか、結論が出されました。

発見された死海文書

結果は…

聖書は原本の完全なコピーと言って間違いない。僅かな差異は本文研究によってすでに判明していた部分であり、なんら本質に影響する部分ではないという結論でした。

死海文書については発見された資料が膨大で多数の偽典も含まれるため、いろいろな憶測が飛び交っています。多くの人々はそれらの仮説に興味を持つようで、それらに熱中して議論しています。また、聖書の小さな矛盾さがしなどをしている人も未だ多く存在します。

しかし、最も注目すべき点は私たちの持つ聖書が人知を越えて守られてきた書簡であり、聖書は神の言葉であるのは疑う余地が無いという事実です。

■ヨハネ20:31
これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。



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