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『審判による贖い』

2024年3月17日

 前回は弱りきっていたモーセを神が選んで霊的な強さへ引き上げる話をさせていただきました。
今日はそのモーセがエジプトに戻りファラオと対峙するところを見ていきたいと思います。エジプトは古代からナイル川が周期的に水位を増すことによって非常に豊かな生活ができていました。ナイル川にはナイロメータと言われる水位を測るため階段状の石段が各所に設けられており、その年の水位から穀物の年貢の量が決められたと言われています。一般的に農地というのは収穫がされるたびに土地の栄養は失われていくため、土壌に栄養を与えることが大切でした。その点、ナイル川は氾濫すると深さ数メートル、広大な面積に渡って肥沃な土を運び人手によらず自然の恵みで土壌改良されていました。古代において食糧問題に心配がないということは人口増加、国税の増加だけではなく、軍事力の強化、技術や知識の発展にも影響し強力な国家にエジプトを押し上げていったのです。
そして前回もお話ししましたがファラオ(エジプト王)はナイル川を創造した者、ナイル川はファラオのものであるとして神格化されていました。
そのナイル川のワニにも例えられるファラオとモーセ、アロンは対峙しなければならなかったのです。

■出エジプト5:1~2
その後、モーセとアロンはファラオのもとに出かけて行き、言った。「イスラエルの神、主がこう言われました。『わたしの民を去らせて、荒れ野でわたしのために祭りを行わせなさい』と。」ファラオは、「主とは一体何者なのか。どうして、その言うことをわたしが聞いて、イスラエルを去らせねばならないのか。わたしは主など知らないし、イスラエルを去らせはしない」と答えた。

当然の反応でした。神も予めモーセにファラオの心をかたくなにするのでイスラエルの民をなかなか去らせるようにしないだろうと伝えていました。さらにファラオはイスラエルの民のレンガ造りに対して藁を供給しないことを決め、イスラエルの民に対して自分たちで藁を集めてレンガを造り、決まられた数を減らさず納めるように厳命します。
これについては1907年のピトム遺跡発掘で倉庫の建物のレンガから下段と上段でレンガの質が異なり上段では藁が入っていないもの、根の切り株などを詰められたレンガが発見されています。出エジプト1:11にはイスラエルの民が「ピトムとラメセスを建設した」と記されています。また、出エジプト5:12に「民はエジプト中に散ってわらの切り株まで集めた」と記されており聖書の記述を裏付けています。

話を戻しますが、ファラオのこの命令によってモーセとアロンはイスラエルの民からも非難をあびることになってしまいました。(出エジプト5:21~22)モーセは神にその不満をぶつけています。

■出エジプト5:22~23
「わが主よ。あなたはなぜ、この民に災いをくだされるのですか。わたしを遣わされたのは、一体なぜですか。わたしがあなたの御名によって語るため、ファラオのもとに行ってから、彼はますますこの民を苦しめています。それなのに、あなたは御自分の民を全く救い出そうとされません。」

これに対して神は強い手をもってイスラエルの民を導き出すことを約束します。そして、エジプトを神の手による災いが襲うことになります。ファラオは災いが起こるとイスラエルの民を去らせる約束をしますが、災いが去ると約束を反故にしたため10の災いが起こることになります。

①    ナイル川の水が血に変わる
モーセとアロンが杖を振り上げて、ファラオとその家臣たちの前で水を打ったところ水は血に変わって、魚は死に、悪臭を放ったので川の水を飲めなくなりました。ところが、エジプトの魔術師も秘術を用いて同じことを行ったとあります。

②    カエルだらけになる
カエルが嫌いな人には想像したくない話ですが、カエルがあふれて王宮を襲い、寝室にもベッドに上り込み、台所までカエルだらけの惨状になります。これもエジプトの魔術師も秘術を用いて同じことができたとありますが、カエルを去らせることはできませんでした。

③    ぶよの大量発生
モーセとアロンが杖で土を打つと塵がすべてぶよに変わりエジプト中の人と家畜を襲ったとあります。ぶよは皮膚をかみちぎり血を吸うので腫れや病気を引き起こします。エジプトの魔術師は降参してこれは神の業であると認めます。

④    あぶの大量発生
今度はあぶが大量発生して王宮から家々に入り込み、耕作地にも満ちたためにエジプトは小さなあぶのゆえに荒廃したとあります。但しイスラエルの民のゴシェンの地域は守られています。

⑤    疫病に襲われる
エジプト人の家畜のみ疫病に襲われ大量に家畜が死にます。しかし、イスラエルの民の家畜は一匹も死にませんでした。

⑥    腫物に襲われる
モーセとアロンがかまどの煤を両手いっぱいまき散らすとエジプト全域に膿の出る腫物が広がり、人と残った家畜を苦しめました。

⑦    激しい雹に襲われる
時間まで指定してエジプト全域にかつてないほどの激しい雹が降り注ぎ、人と家畜は打たれて死にました。警告を聞いた人のなかにはファラオの家臣も含まれており、神を恐れる人が出てきました。しかし、雹の被害によって亜麻と大麦は壊滅してしまいました。

⑧    いなごの大群に襲われる
暗くなるほどのいなごの群れが襲い雹の被害を免れた作物を食い尽くし、エジプトには木や野の草まで緑が無くなりました。

⑨    暗闇に覆われる
3日間に渡ってイスラエルの民の地域を除くエジプト全土が暗闇に包まれます。その3日が過ぎるとファラオは心をかたくなにしてモーセたちに2度と顔を見せるなと言い放ちます。

⑩    初子が殺される
最後はファラオの子から奴隷の子、家畜に至るまでエジプトのすべての初子が打たれて死ぬという凄惨な災いでした。これによりファラオは無条件でモーセとアロンの要求に従うことになりました。

この10の災いについて神はエジプトの神々を象徴するものをひとつひとつ取り上げたのだという考え方などいろいろな説があります。ひとつ確かなことは神がわざとファラオの心をかたくなにさせて、災いを下したということで、ファラオの意志に関わらず災いは起こらなければならなかったということができます。
皆さんはこの災いについてどう考えるでしょうか。


【まとめ】


出エジプトは単なる昔ばなしではなく、そこには神がこれから成されようとしている救いの計画がより明白に映し出されています。
10の災いはエジプトにより頼むすべてが打ち砕かれています。第一にファラオが創造神のように傲慢な姿が映し出されていますが、「ナイルはわたしのもの」と言ったナイル川の制御が効かなくなります。エジプト人の知恵は川を利用していましたが知恵の及ぶ範囲はごくわずかでしかありませんでした。被害が人の健康に及ぶにつれて魔術師は早々に降参せざるを得ませんでした。さらに災いはエジプトの頼みであった食料を打ち、経済が壊れていきます。激しい雹が襲った時にはファラオの臣下のなかにもモーセとアロンの言葉を信じ、神を恐れるようになる者が出てきます。ファラオに対する信頼が無くなっていったということでもあります。そしてエジプトを暗闇が包み込むとエジプト人の目は光を失わないイスラエル人に向いたと思われます。最後は人と家畜のすべての初子が殺されるという凄惨な災いが起こりました。これは長子を失うことで子孫繁栄の基盤が壊されることで未来に対する希望が失われたことを意味しているのではないかと私は考えます。

出エジプトのテーマは罪からの救いであり脱却です。罪ある生活はエジプトでのイスラエル人の生活を示しています。
私が子供の頃、古代エジプトでピラミッドを造った人々は奴隷で鞭うたれながら斃れるまで働かされるというイメージでした。ところが考古学の発展からそのように働かされた人々にも休暇などのある程度、自由が保障されていたことがわかっています。イスラエルの人たちの生活もある程度の生活ができていたのではないかと思われます。後に荒野に脱出したイスラエルの人の一部は「あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられた」と不平を言っています。つまり、イスラエルの人たちは十分な生活ができていて、本来の神に向き合うイスラエルという立場を虐げられてしまっていることに慣れ切ってしまっていたのです。イスラエル人ですらエジプトの豊かさに依存してしまっている状態だったのだと思います。
そのため神は審判という形ですべての依存を打ち砕き、より頼むのは神を置いてほかにないことを示されたのではないでしょうか。

このエジプトは私たちが生きている一般の社会の写し絵です。
私たちの現代の生活もこのようなものなのではないでしょうか。罪の中の生活というのは虐げられていることに気づかない、あるいは慣れてしまっている状態です。いつのまにか神以外のものに依存して生活してしまっていて、その方が楽に生きられるからです。それは偶像だけでなく経済だったり名誉や立場だったり環境だったり誰かであったりするかもしれません。しかし、その依存は盤石なように見えても神の前には脆いのです。
出エジプトは罪ある環境からの脱出ではありますが楽な道ではありません。この世界でキリストを信じて生きていく厳しい道を映し出しているからです。

また、出エジプトの物語をよく読むときに信じがたいことが書かれています。

■出エジプト11:3
主はこの民にエジプト人の好意を得させるようにされた。モーセその人もエジプトの国で、ファラオの家臣や民に大いに尊敬を受けていた。

神がそうされたというならそうなのかもしれませんが、これだけ大災害を呼び込んだイスラエル人、またモーセに対して好意を持つなどということがあるのでしょうか。
出エジプト記にははっきりと書かれていませんが民数記(11:4)にはイスラエルの民とともに出発した外国人がいたことを示しています。恐らく10の災いはイスラエル人に対して危害が及んでいないことを知った人がいて、イスラエル人に近づくことで被害を免れたエジプト人も少なからずいたのではないかと推測します。ファラオの臣下も神を恐れてモーセのいう言葉を信じたとありますから、そういう人たちに尊敬されたということは考えられます。彼らはイスラエルの民を通して救われたのではないかと思います。

ですから、最後の初子が殺される災いのなかでイスラエルの民が救われるために屠られた子羊がキリストを示しており、その際のすべてが十字架のキリストを描写しています。人々が罪の生活から脱却するために神はキリスト・イエスを犠牲にして私たちは贖われたのです。そして尚、多くの人が私たちの証を通して救われていきます。

■出エジプト6:6~7
それゆえ、イスラエルの人々に言いなさい。わたしは主である。わたしはエジプトの重労働の下からあなたたちを導き出し、奴隷の身分から救い出す。腕を伸ばし、大いなる審判によってあなたたちを贖う。そして、わたしはあなたたちをわたしの民とし、わたしはあなたたちの神となる。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であり、あなたたちをエジプトの重労働の下から導き出すことを知る。

こうしてイスラエル人はエジプトを出発しました。

■出エジプト12:40~41
イスラエルの人々が、エジプトに住んでいた期間は四百三十年であった。四百三十年を経たちょうどその日に、主の部隊は全軍、エジプトの国を出発した。

ちょうどその日とは何の日のことを言っているのでしょうか。この日はヨセフが奴隷としてエジプトに奴隷として売られた日であり、後に過ぎ越しの祭として定められ、さらに時を経て祭りのなかでキリストが十字架につけられることになるのです。
そのちょうど同じ日に贖われてイスラエル人は解放されたのです。


< 余談:430年の期間について >


このエジプトでイスラエルの民が虐げられて過ごした期間が謎なのでちょっと考えてみました。正直、わかりませんので参考まで。

①     エジプトでの滞在期間は神がアブラハムに伝えた時は400年と言って
  いました。(創世記15:13)
②     主エジプトの記述では430年となっています。
③     パウロはガラテヤ書のなかでアブラハムと結んだ松明の契約(創世
  記15)から430年後にエジプトを脱出した民がシナイ山で律法を受け
  取ったと記しています。(ガラテヤ3:16~17)
④     考古学上の調査からエリコの城壁が崩れたのは紀元前1450年頃とさ
  れています。

①と②はヨセフが30歳になった時にヤコブと兄弟たちがエジプトに住むようになったということで矛盾していないのですが、アブラハムの時代が紀元前1900年頃と考えるとエリコを攻めたのは紀元前1200代ぐらいになり④と矛盾します。(発掘調査の結果が正しいと仮定して)一方、③はパウロの言う事なので信じたいところです。これはパウロたちが70人訳聖書(私たちが使用している聖書はマソラ本文に基づく)で、この訳ではカナンとエジプトでイスラエルの民が過ごした期間として430年と出エジプト記に記されています。そうなるとエジプトでの期間は200~250年くらいで④のエリコの城壁が崩れた発掘調査の時期とも一致してきます。しかし、ヤコブたちがエジプトに住んだ時に一族が70人ですからエジプトでの期間が250年程度では計算しても200万人(20歳以上の男子60万人から推測)に増えるというのに少し無理があります。
ここ1か月ほど悩んで考えたのですが、結論としては70人訳聖書の訳は誤りだと思います。もしかするとアブラハムの時代は紀元前1900年代ではなく2100年代と想定より古い時代だったのではないかと個人的には思いました。
パウロが訳の誤りに気付かなかったことなどがあるだろうかという疑いもありますが、手紙なので当時、普及し始めていた聖書の記述にあえて沿ったのかもしれません。

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