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パウロの伝道旅行

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長年、パウロの伝道旅行についてまとめてみたいと思っていましたが、すでに多くの皆さんが取り上げて文献もあるので尻込みしていましたが、面白そうという欲求には抗えず、手を出してしまいま…
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#キリスト

No.17 『義の冠』

 伝道旅行の話は終えましたが、今日はパウロの心の内側について考えてみたいと思います。 何…

TICA Tatsuo
6か月前
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No.16 『ローマへの道』

今日でパウロの伝道旅行の話自体はいよいよ最後となります。 前回、お話ししたようにエフェソ…

TICA Tatsuo
6か月前

No.15 『生きることはキリスト』

パウロは第3回伝道旅行でマケドニア、ギリシアでの活動を終えて帰路につきますが、シリアのア…

TICA Tatsuo
6か月前

No.14 『伝道者の慰め』

前回、パウロが第3回伝道旅行でエフェソに滞在した際に霊的な闘いが激しくなってきたことをお…

TICA Tatsuo
6か月前

No.13 『エフェソの野獣』

 今日から第3回伝道旅行の話になります。パウロはシリアのアンティオキアを出発して陸路でガ…

TICA Tatsuo
6か月前

No.12 『成長させるのは神』

 第2伝道旅行の話は前回で終わりましたが、パウロはすぐに第3伝道旅行に出発しています。(使…

TICA Tatsuo
6か月前

No.11 『霊と力による証明』

パウロの第2伝道旅行はコリントを後にエフェソを経由してカイサリア、エルサレムに至って、シリアのアンティオキアへ帰って終わります。使途言行録ではエフェソやエルサレムに行った際の詳細は記されておらず、重要な場所を通ったにも関わらず非常にあっさり終わっています。(使途言行録18:18~23)前回触れたようにパウロのローマ行きの請願は叶わず期せずして訪れたマケドニア、コリントでしたが、この伝道旅行が後世に与えた影響は非常に大きかったと思います。ローマに続く陸路と海路の要所に教会の土台

No.10 『パウロの請願』

 今日はパウロが第2回伝道旅行でコリントへ行ったところからお話しさせていただきます。コリ…

TICA Tatsuo
6か月前
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No.9 『知られざる神』

 今日もパウロの第2回伝道旅行の話になりますが、マケドニアでユダヤ人の執拗な妨害に会った…

TICA Tatsuo
6か月前
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No.8 『マケドニアに蒔かれた種』

 今回はパウロの第2回伝道旅行のなかで起こったフィリピの街での投獄について話をさせていた…

TICA Tatsuo
6か月前

No.7 『召されたひとにある確信』

 前回はパウロの第2回伝道旅行がその後の教会に非常に大きな影響を及ぼしていったことをお話…

TICA Tatsuo
6か月前

No.6 『ゆだねられた福音の継承』

 前回は使途会議において初代教会が大転換の決定がなされたことについて、話をさせていただき…

TICA Tatsuo
6か月前
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No.5 『古い契約の枷』

 前回はパウロとバルナバが南ガラテヤ地方(ピシディア州)のアンティオキア、イコニオン、リ…

TICA Tatsuo
6か月前

No.4 『二つの契約』

 前回に続いてパウロの第1回目の伝道旅行の話をさせていただきます。 パウロとバルナバはキプロスでの宣教から船で北西に向かいパンフィリア州のペルゲに着きます。ここでマルコと呼ばれていたヨハネがエルサレムへ帰ってしまいますが、パウロとバルナバはピシディア州のアンティオキアへ陸路で向かいます。ややこしいのですが出発点のアンティオキアとは別の街で現トルコの中央内陸に位置していました。現在は遺跡が残るのみですが当時はローマ帝国が周辺地域を征服するにあたって重要な拠点となっていたようです