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No.13 『エフェソの野獣』

 今日から第3回伝道旅行の話になります。パウロはシリアのアンティオキアを出発して陸路でガラテヤ、フリギアを巡ってエフェソに着きます。そして、エフェソに3年ほど滞在していたようです。エフェソは西アジア(現トルコの西側)で最重要の貿易都市でした。
現在のトルコでも世界遺産に登録されている最大の遺跡で観光ルートの必須のポイントになっています。発掘調査は125年間続けられているから驚きです。エフェソの遺跡は広く、円形劇場、図書館、マリアの家などなど、見所が多いので、訪れるなら十分な時間を割けるようにしたい場所です。

そのエフェソですが前回、パウロと供にコリントからやってきたアキラとプリスキラが留まりアポロと接触した話をしました。アポロはキリストを伝道していましたが聖霊を知りませんでした。パウロがエフェソへやってきた時にエフェソのクリスチャンは聖霊のことを知りませんでした。(使途言行録19:1~7)パウロは彼らにその場で洗礼を授け、聖霊を受けさせています。そして、神はエフェソでパウロを通して目覚ましい奇跡を行われたとあります。

■使途言行録19:11~19
神は、パウロの手を通して目覚ましい奇跡を行われた。彼が身に着けていた手ぬぐいや前掛けを持って行って病人に当てると、病気はいやされ、悪霊どもも出て行くほどであった。ところが、各地を巡り歩くユダヤ人の祈禱師たちの中にも、悪霊どもに取りつかれている人々に向かい、試みに、主イエスの名を唱えて、「パウロが宣べ伝えているイエスによって、お前たちに命じる」と言う者があった。ユダヤ人の祭司長スケワという者の七人の息子たちがこんなことをしていた。悪霊は彼らに言い返した。「イエスのことは知っている。パウロのこともよく知っている。だが、いったいお前たちは何者だ。」そして、悪霊に取りつかれている男が、この祈禱師たちに飛びかかって押さえつけ、ひどい目に遭わせたので、彼らは裸にされ、傷つけられて、その家から逃げ出した。このことがエフェソに住むユダヤ人やギリシア人すべてに知れ渡ったので、人々は皆恐れを抱き、主イエスの名は大いにあがめられるようになった。信仰に入った大勢の人が来て、自分たちの悪行をはっきり告白した。また、魔術を行っていた多くの者も、その書物を持って来て、皆の前で焼き捨てた。その値段を見積もってみると、銀貨五万枚にもなった。

ここだけ読むと順調のように思われるエフェソでの伝道ですが、実はそうではなかったようです。コリント人への手紙でパウロは気になることを書いています。これはどういうことなのでしょうか。

■1コリント15:32
単に人間的な動機からエフェソで野獣と闘ったとしたら、わたしに何の得があったでしょう。

これはどういうことなのでしょうか。

【まとめ】


エフェソには24000人が入れる半円形劇場が残っています。パウロはここでギリシアの女神アルテミスを巡る騒動に巻き込まれました。(使途言行録19:21~40)パウロたちは人の手によって作られたようなものは神ではないと教えていたからです。アジア一帯(現トルコ)にはギリシア神やローマ神の偶像を中心とした金儲けの構造ができあがっていました。ですから、アルテミス神殿の模型をつくって商売をする銀細工職人などが儲けに影響するとして街の人々を扇動。パウロの同行者だったマケドニア人ガイオとアリスタルコを捕らえて劇場になだれ込みました。パウロも劇場に入っていこうとしましたが弟子たちが止め、結果的には冷静に対処した街の書記官によって鎮静化します。ここで少し気になる点はこの街の書記官が「諸君がここへ連れて来た者たちは、神殿を荒らしたのでも、我々の女神を冒瀆したのでもない。」と断言している部分です。これはパウロたちのことを既に把握していたと考えられます。使途言行録には書かれていませんが、パウロはエフェソで投獄されたと考えられています。私もこの書記官の反応から投獄されたことがあるのだろうと推測します。つまり、書記官は過去にパウロたちを投獄した際に調べていたのではないかと思います。
では、投獄された際に劇場に引き出されて野獣と闘わせられたのでしょうか。そうではありません。パウロは自発的に野獣と闘ったと言っていますので霊的な闘いがあったことを示しています。

エフェソはコリントと同様に貿易の拠点として栄えた街でしたが魔術を行って人を惑わして金を稼ぐというような事が多く行われていました。パウロたちがエフェソに住むユダヤ人やギリシア人を回心させた時に彼らは悪行を告白したとあり、銀貨五万枚に相当する魔術に関する書物が処分されました。これがエフェソに横たわっていた闇の部分です。以前、ギリシア神の信仰について触れましたがそこには教義といったようなものはなく、生活の中で人が神を利用しているような形で存在していました。アルテミスへの信仰を叫びながらもこの街には魔術などがはびこり、現実にはアルテミスの名を利用しながら利益を得ていただけだったのです。

これは現在の日本によく似ています。経済的にも比較的恵まれた環境のなか、神を生活の中に取り入れながらも神を知ろうとせずに占いや魔術なども受け入れてしまう。アルテミスの騒動が起こって人々は劇場へ押しかけましたが収集がつかず多くの人が何のために集まっているか理解していなかったというところ(使途言行録19:32)も何となく今の日本人に重なって見えてしまいます。
神はエフェソにおいて異常なまでの霊的な奇跡を行われました。パウロが「野獣と闘った」と表現したのはエフェソにおいて霊的な闘いが激しかったからではないかと思います。こういった問題は悪霊と対峙するよりも根が深く厄介です。

エフェソで建てられた教会はアジア全域に大きな影響を与えていくことになります。しかし、それは霊的闘いを避けられず多くの困難に直面するということでもあるのです。そこには聖霊によるダイレクトなサポートが不可欠になるのです。

■エフェソ2:18~21
それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。 従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。

本来、神の聖さに人は近づくことができません。わずかな罪であっても神の聖さと同居することは決してないからです。当然ながら人が聖霊を受けることも本当ならあり得ないことでした。でも、キリストの十字架によって私たちは罪のないものとして取り扱われるようになりました。私たちは聖い者、神の家族であり神とともに遣わされて働くことができるのです。

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