No.7 『召されたひとにある確信』
前回はパウロの第2回伝道旅行がその後の教会に非常に大きな影響を及ぼしていったことをお話しさせていただきました。今日は第2回伝道旅行をもう少し詳しくみていきたいと思います。パウロたちは第1回伝度旅行で訪れたリストラという街でテモテを旅に加えて、ピシディア州のアンティオキアへ向かうつもりだったと思いますが、聖霊によってアジアでの禁じられたため現在のトルコ中央部から北のガラテヤ、フリギアに向かいます。フリギアという地名はピシディア州のアンティオキアの西にも同名の街があるため第2回伝道旅行のルートがリストラからアンティオキアを通る形の解釈が多いのですが、アンティオキアでの活動の記述がないことから恐らく誤りではないかと考えます。パウロたちリストラから北にあったフリギア(場所は不明。現在のアンカラ辺り?)へ行き、シルクロードに沿ってビティニア州(現在のイスタンブールの東側一帯)へ向かおうとしたところ「イエスの霊がそれを許さなかった」(使途言行録16:7)と記されています。アジアで伝道ができないとなるとビュザンティオンからボスボラス海峡を越えてヨーロッパへ行こうと考えたのだと思われますが、面白いのが「ビティニア」はギリシア語で「激しい突進」を意味しています。パウロの激しい牛の突進のような伝道をキリスト自ら制したとも読めなくもなく、合流したルカがそれを少し表現したのかもしれないと思ってしまいます。
こうしてトロアスに向かいルカを旅に加えたところで、パウロはマケドニア人が助けを求める幻を見ます。
■使途言行録16:9~10
その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と言ってパウロに願った。パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである。
このことでルカを含めた一行はマケドニア人に福音を告げ知らせるために召されていることを確信します。
トロアスはトロイの木馬で知られたトロイ遺跡の近くの港街から船でネアポリスの港、フィリピの街に入っていきました。フィリピの街は非常に豊かでしたがユダヤ人はそれほど多くなく会堂(シナゴーグ)が無かったため、川岸が祈りの場になっていたようです。ですからパウロはそこに行って福音を語ったとあります。
■使途言行録16:13~15
安息日に町の門を出て、祈りの場所があると思われる川岸に行った。そして、わたしたちもそこに座って、集まっていた婦人たちに話をした。ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。そして、彼女も家族の者も洗礼を受けたが、そのとき、「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊まりください」と言ってわたしたちを招待し、無理に承知させた。
このリディアという女性ですが聖書の記録がほとんどありません。しかし、一般的な理解ではフィリピにおける教会の設立に非常に貢献したとされています。しかし、不思議なのはルカがフィリピでパウロの一行から離れてフィリピでの福音の定着に努めましたが、使途言行録にその後、リディアに関して何も記述のないことが気になります。
【まとめ】
使途言行録にはフィリピでの活動の終わりにパウロたちがリディアの家で兄弟たちと会って励ましたと書かれているので、パウロたちをリディアが支援していたのは確かだと思います。何よりキリストが彼女の心を開いたとあるので直接的な召しを受けていると考えられます。ルカの記述に名が出てこないのはフィリピに彼女が留まらなかったからではないかと推測します。
フィリピという街はエグナティア街道というマケドニアを東西に貫く重要な街道で西は海を渡ってアッピア街道に繋がりローマに続いていました。東はボスボラス海峡に通じてアジアに繋がっており、軍事、経済の両面で非常に重要でした。フィリピの街はその途中にあって非常に栄えて裕福な街だったといわれています。街はローマで退役した軍人が移り住むなどでローマとの関係も深かったとされています。
リディアは「紫布を商う人」で商人でしたのでフィリピを離れることが多かったのではないかと推測します。
第2回伝道旅行では後にパウロがコリントを訪れた時にアキラとプリスキラという夫婦を訪ねています。アキラとプリスキラは皇帝クラウディウスの命令ですべてのユダヤ人がローマから退去させられてコリントに来ていました。職業はパウロと同じテント造りであったため一緒に仕事をしたと記されています。これは単なる推測なのですが、リディアが関わっていた可能性があるのではないかと思います。彼女は商人でしたのでローマも訪れている可能性があります。紫という色素も当時は非常に貴重で紫色の布は高価だったとされています。アキラとプリスキラのテントも普通の人は使わないかもしれませんが、ローマ帝国はイングランド北方で消耗戦を強いられていたこともあり、軍事物資としても需要があったのではないでしょうか。需要のある商材の扱いの中でリディアとアキラ、プリスキラが接触した可能性はあるのではないかと思っています。
パウロがコリントでアキラ、プリスキラを訪ねて住み込みで一緒に仕事をしたというのは会ったばかりにしては不自然なので、パウロはアキラ、プリスキラを紹介されていたと考えるのが自然だと思います。アキラとプリスキラと会うことでパウロは挫折と慰めを味わうことになるのですが、それも神がこの時から計画されていたことだったのではないかなと私は思います。
リディアが本当に関わっていたかどうかは資料がないのでわかりませんが、神が救いを計画されるときに召された人たちに確信を与えて、見えないところでも協力があって道が整えられていくのだと思います。
■2テモテ1:9~11
神がわたしたちを救い、聖なる招きによって呼び出してくださったのは、わたしたちの行いによるのではなく、御自身の計画と恵みによるのです。この恵みは、永遠の昔にキリスト・イエスにおいてわたしたちのために与えられ、今や、わたしたちの救い主キリスト・イエスの出現によって明らかにされたものです。キリストは死を滅ぼし、福音を通して不滅の命を現してくださいました。この福音のために、わたしは宣教者、使徒、教師に任命されました。
パウロは牛の突進のような伝道を行っていきますが、その陰で神は召された人たちを通して道を整えられたのだと思います。キリストの道をバプテスマのヨハネが真っ直ぐ整えたように、キリストの道を真っ直ぐ突き進むパウロを多くの人が助けていきました。召された役割がどんなものであったとしても決してひとりではないということを覚えておきたいと思います。
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