No.10 『パウロの請願』
今日はパウロが第2回伝道旅行でコリントへ行ったところからお話しさせていただきます。コリントは下地図の赤丸の位置にありペロポネソス半島の付け根(地峡)に位置していました。古くからペロポネソス半島の南端の海域は強風が吹き荒れ海の難所となっていたため、コリント地峡には運河建設が試みられますが、厚い岩盤のせいで何度も失敗します。
地峡の幅は直線で6kmほどだったためかわりにディオルコスという独特な貨物運送の仕組みがありました。コリントの東西2つの港が石畳で繋がれており石畳には軌条が刻まれていて油の引いた木製の台車に荷物を載せて人力で台車を東西の港まで引いていたそうです。鉄道のルーツと言えるかもしれません。荷物だけでなく船や軍船も台車に載せて運んだという記録も残っているから驚きです。
このためコリントの街は東西の交通の拠点として非常に栄え、貿易の影響で非常に多くの文化が流れ込んできていました。そして、栄える反面、散財する商人や荒くれ者なども多く街は不道徳に満ちていたと言われています。これらがコリントの信徒への手紙が書かれた背景でこの街のクリスチャンも悪い影響を受けていたことが伺えます。
また、コリントではパウロがユダヤ人たちから訴えられて地方総督であったユニウス・ガリオンの前に引き出されたことが記されています。(使途言行録18:12~17)実はデルフォイ神殿遺跡から発掘された碑文からユニウス・ガリオンがコリントで総督を務めたのが紀元52~53年ということがわかっており、使途言行録の出来事はここを起点に年代を算出しているのです。
そのコリントへの伝道ですが、パウロが着いたときに非常に弱っていたことが記されています。
■1コリントの信徒への手紙2:3
そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。
■使途言行録18:9~10
ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」
この箇所からパウロがマケドニアで危害を加えられそうになったことで非常に恐れに囚われていたという解釈が一般的なのですが、どうも個人的にこの解釈には納得がいきません。
殉教も覚悟していたパウロがその程度のことで恐れを感じるとはどうしても思えないのです。
【まとめ】
少しほかの部分からパウロの心境を考えてみたいと思います。
パウロはコリントに1年半、滞在しましたがエフェソに向かう際に請願のために伸ばしていた髪を切ります。(使途言行録18:18)これは恐らくナジル人の請願だと思われます。ナジル人と言えば士師記のサムソンですが、これは人種を指すものではなく神に対して誓願を立てた人をナジル人と言っていました。(民数記6:1~21)パウロがどのような請願を立てていたのか書かれていないのでわかりませんが、髪を切る時というのは請願が果たせたことを意味します。但し、民数記によると切った髪は幕屋で髪にささげることになっており、髪を切るのも幕屋の入り口で行うと定められています。初代教会時代にナジル人の規定がどこまで残っていたのかわかりませんが、使途言行録21章でエルサレムに戻ったパウロが4人の請願者を神殿に連れていくところが記されていますのでナジル人の請願の規定はそのまま残されていたと考えられます。そこから考えると旅の途中で髪を切るというパウロの行為は不自然です。ここから考えられるのはパウロがそこで請願を断念、あるいは止めたということです。
第2回伝道旅行の話ではないのですが次の難解箇所からパウロの思いが少し見えるような気がします。
■2コリントの信徒への手紙1:17
このような計画を立てたのは、軽はずみだったでしょうか。それとも、わたしが計画するのは、人間的な考えによることで、わたしにとって「然り、然り」が同時に「否、否」となるのでしょうか。
何を言ってるのかさっぱりわからない難解箇所なのですが…コリントのクリスチャンに対してパウロが第3回伝道旅行の計画を明かしたもので、パウロの計画に反してコリントへ向かうのが少し先になったことについて記した箇所だと思います。パウロが必ず訪れると約束しても人間的な計画であるなら、それが実現しないことがあるということを過去の経験を通して語っているように感じます。
前頁の地図を見ていただくとわかりますが、アテネに逃がされたパウロはローマ行きをあきらめていなかったのではないかと個人的には推測します。コリントの西の港は海路でローマに続いていました。パウロはそのためにコリントへ来たのではないでしょうか。そして、恐らく「必ずローマに行く」というような請願を立てていたのではないかと考えます。ところが、ローマからやってきたアキラとプリスキラに会い、ローマからユダヤ人が追放されたという絶望的な話を聞いたのです。ここでユダヤ人であるパウロはローマ行きを断念せざるを得なくなったのではないかと思われます。ですから、パウロが恐れたのは身の危険などではなく、伝道に対しての自分の存在意義が無になってしまうことに対して非常な恐れを感じたのではないでしょうか。そこに神は幻のなかでパウロにコリントでの伝道の重要性を語ったのです。
人は何かを計画しようするときに必ず最短距離で実現できることを考えてしまいます。私たちの信仰の世界においても同じです。思った通りにならないと神に不平をぶつけたり、失望したりします。
神はそのなかで信仰を練り鍛えて、非常に強い信仰者へ成長させます。猛牛のようなパウロがこのあたりから変えられたように私には思えます。人間的な請願を止めたことで張り詰めるような無駄な緊張感が解けたのではないでしょうか。
■2コリントの信徒への手紙4:16~17
だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。
大きな挫折を味わったパウロですが、念願のローマでの伝道は後に予想外の展開で実現することになります。
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