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No.17 『義の冠』

 伝道旅行の話は終えましたが、今日はパウロの心の内側について考えてみたいと思います。
何度もこの場でお話しさせていただいていますが、聖書に登場する人物は多いですが何故かその心情について細かい描写がありません。聖書を知るにあたってその人物の心情を考えることが私は大切だと思っています。パウロという聖人ではなくひとりの人間として何を考えてどのように感じ、どんな葛藤があって行動したかという点を知るときに神が私たちを同じように用いられるということを知ることができるからです。

パウロには肉体に棘が与えられていたとあります。

■2コリント12:7
そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである。

しかし、その「棘」が具体的に何を指すものなのか記されていません。聖書の注解などを読むとパウロは目の病気、てんかん、偏頭痛だという人もいますし、精神的な病や宣教を邪魔する者たちであったという説までいろいろです。

■ガラテヤ4:13~14
あなたがたも知っているとおり、最初わたしがあなたがたに福音を伝えたのは、わたしの肉体が弱っていたためであった。そして、わたしの肉体にはあなたがたにとって試錬となるものがあったのに、それを卑しめもせず、またきらいもせず、かえってわたしを、神の使かキリスト・イエスかでもあるように、迎えてくれた。

この箇所と伝道旅行に時々、医者のルカが同行したと考えられるところからパウロは何らかの病、目の障害などがあったという考え方に至ったのではないかと思いますが、今まで伝道旅行の話をさせていただいたなかでわかると思いますが、パウロは伝道旅行に休む間もなく全力を注いでいたということがわかります。健常者でもハードなスケジュールを肉体的なハンデを負った人がこなせる行動とは思えません。また、パウロはテント職人でもありましたから服の裁縫とは言わないまでもある程度の細かな作業ができたと考えられますので目のハンデも違うような気がします。
この「棘」が何だったのかということには意味がないという意見もありますが、私はパウロの心情を解くなかで非常に重要なポイントではないかと思うのです。なぜなら、この「棘」はパウロの短い生涯のなかで神によって「恵み」へと変えられていてパウロの「棘」の問題は解決しているからです。

■2コリント12:8~9
このことについて、わたしは彼を離れ去らせて下さるようにと、三度も主に祈った。ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。

皆さんはこのパウロの「棘」についてどう思われるでしょうか。

【まとめ】


これは「棘」の解釈について正解を出すというものではありません。私はこう捉えているという話です。
パウロはガマリエルの元で律法を学び、旧約聖書の知識に精通していましたがステファノから「律法を受けていながら裏切り者」という言葉を間接的ではありますが投げかけられました。(使途言行録7:51~53)この使途言行録のステファノについての7章の細かい描写ですがルカがその場に居合わせたとは思えませんので、恐らく後にパウロから聞いたことを書いたのではないかと私は推測します。この箇所を読むときにパウロがどれほどステファノの件で衝撃を受けていたかがわかります。パウロはステファノを殺す側の立場にいながら語られた言葉をほぼ丸覚えしていたからです。ステファノが石打ちで殺される時にパウロ(サウロ)は直接、手を出しませんでしたが殺すことに賛同してステファノに向かって石を投げる人々はパウロ(サウロ)の足元に上着を置きました。ヘブライ語で上着は「ベゲド」と言いますが、「ベゲド」には「裏切り」という意味が含まれることは以前にお話しさせていただいた通りです。律法について語るステファノの顔は「さながら天使の顔」のようだったとルカに伝えたのもパウロだっただろうと思います。(使途言行録6:15)

パウロ(サウロ)はダマスコに向かう途上でキリストに出会い、それまで迫害していたキリストを信じるようになるのですが、その後、アラビアへ行く空白の時期があるのです。パウロはステファノの語った律法の真実を見極めるためにアラビア(個人的な解釈ではシナイ山へ行ったと考えています)へ向かったのだと私は考えています。こうしてキリストは幻のなかでパウロの歩む道を示してパウロはキリストの伝道の道を進むことになりました。しかし、パウロはユダヤ人にもクリスチャンにも裏切り者として扱われたのです。先のガラテヤ書のなかで「わたしの肉体にはあなたがたにとって試錬となるものがあった」と語ったのはパウロがクリスチャンを裏切るリスクがあったことをガラテヤの人々が知りながら受け入れてくれたことを示すものだと思います。ですから、パウロの働き場は初代教会の中心であるエルサレムには無かったのではないかと思います。

また、異邦人に対して躊躇する初代教会の在り方についてパウロは少なからずストレスを感じていたと思われますが、教会会議でも口を出すことは一切、ありませんでした。パウロは裏切り者かもしれないと見られていることをよくわかっていたからではないかと推測します。唯一、ペテロに対してだけは直接、遠慮なしに非難しました。(ガラテヤ2:11~12)パウロはペテロと対立していたという見解がありますが、私はそう思いません。むしろ、ペテロが信頼できたからこそ非難したのだろうと思います。当時の初代教会にはパウロという器を受け入れる余裕はなかったのです。
もし、律法にも精通するパウロを初代教会が早い段階で受け入れていたら教会の在り方も違っていたかもしれませんが、それは神の計画ではありませんでした。しかし、知恵と知識に恵まれたパウロにはその葛藤は少なからずあっただろうと思われます。

■2コリント12:7
そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである。

さらにパウロはかつてクリスチャンを迫害してステファノを死に追いやった責め苦を常に感じていたのではないでしょうか。私はパウロが「棘」と表現したのはこの責め苦だったと考えています。
そして、その責め苦を追って死に至るまで伝道旅行の道をひたすら走り続けました。しかし、神はパウロの責め苦を用いて最も重要な働きをパウロにさせました。パウロの律法に基づいた信仰の知恵は神が「私の恵みはあなたに対して十分」と言ったように新約聖書に生かされています。

パウロの心情は次の言葉にすべて込められているのではないでしょうか。

■2テモテ4:6~8(口語訳)
わたしは、すでに自身を犠牲としてささげている。わたしが世を去るべき時はきた。わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。

ステファノの名前の語源には「冠」という意味があります。


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