出来ないことを責められなかったが結局責められている
そう、母には出来ないことを「なんで出来ないの!」と叱責されたことはあまりない。
しかし、出来ないと……
「なぜ出来なかったか一緒に考える」
という名目の元、5時間ほど正座でお説教を受けねばならなかった。
姉はこれで正座している間に失神してしまったことがある。
一緒に考えると言っても、ほとんどはその事以外のことなどもずっとずっとお説教を受けるのだ。
私は許してと泣いた記憶しかないし、この方法は躾にはあまり向いてないんじゃないの?と、今は思う。
一緒に考えることは大事だ。
しかし、なぜ5時間も正座で、一方的な話を聞かねばならない?
一緒に考えるって、改善策を考えるのであり、「なぜ、なぜ」と、本人も理由もわからなくしたことの原因を突き詰めることではないと思う。
母は常に、今でも原因を突き詰めてくる。
なぜ、そうしたのか。
人はすることに理由なんて特にないことも多い。
仕事でもそうだ。
なぜ?楽そうだったから?何となく?
だから私は自分の育児のときに、なぜ?は聞いても突き詰めないようにした。
と言っても2才児とかだったけど。
次はしないようにしようね、それだけの話しである。
これって仕事にも言える。
幸いなことに、ミスを突き詰めてくる上司にはほんの少ししか当たったことはない。仕事には恵まれていた。
性差別をする気はあまりないのだが、この、なぜ、を突き詰めてくる人には女性に多い気がする。
突き詰めてきた上司も女性だった。
なぜを追求する友達数人も、女子だ。
なぜ、って自問自答はするけどね・・・でも他人にめっちゃ追求することではないよね。
ちなみに、今、そのなぜを追求してくる女友達の追求を避けてます。なんでも追求してくるから。
他人のことだろ!ほっとけ!
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