未来を持たないストリートミュージシャン達と僕

未来を投げ出すバックパッカー

僕は大学を卒業してすぐに旅に出た。ありきたりだが、いわゆる自分探しの旅である。大学を卒業するまでの自分の人生を振り返ってみると、(これまたありきたりな表現なのだが)何かのレールに乗って生きてきた人生のように感じる。しかも、そのレールを走る電車の周りは霧に包まれていて、列車の中には他の同乗者が階級別の席に座り、みんなが同じように車窓から霧がかった景色を見ている。

「なんのために生きているのだろうか。」このような生きることへの疑いが当たり前のように湧き上がってくる時代に生まれた僕は、御多分に洩れずその虚無感をバックパッカーの背中の上の方(一番重くないところ)に詰め込んだのだ。

「どうやったら大人になれるの?」子どもはよくそんな質問をする。子どもは大人になりたいのだろうか。それはきっと子どもをがつまらない思いをしているからかもしれない。日々、将来(大人になった時)のためにスポーツや勉強、学校生活をさせられる。なるほど、毎日の投資に対する期待値として、子どもの夢は自然と大きくならざるおえないのだ。毎日の学校生活に尽力していた僕の将来の夢はプロ野球選手だった。それは本当にプロ野球選手になりたいと言うよりは、それぐらい現在を未来に先送りしている投資費用の膨大さを無意識に表している。(プロ野球選手の夢は小5で途絶えたが)

そんな未来を持たない僕が、4人のストリートミュージシャンに出会ったのは、イスラ・ヘームレスという島だった。カンクンという街をご存知だろうか。メキシコのカリブ海に位置する世界屈指のリゾート地カンクンから、さらに高速フェリーで30分かけて辿り着ける島である。一人貧乏旅をしていた私は、奇しくもこのリゾート地に1週間滞在することになった。

イスラ・ヘームレス島

僕はバルセロナ近郊のエル・プラット空港を走っていた。宿のフリーブレックファーストを食べたいがためにギリギリまで宿にいたのが原因である。「間に合うかわからないけど頑張って☆」綺麗なお姉さんが無責任な励ましの言葉を言いながらカンクン行きの飛行機のチェックイン手続きしてくれた。隣のチェックインカウンターには、同い年ぐらいの女の子がヒステリックにスペイン語でチェックイン手続きを行っていた。ああ、この人も同じような境遇なんだろうなあと感じ僕は励まされた。やはり共感って大事だ。

急いで荷物検査や出国手続きを済ませ、冷や汗をTシャツに滲ませてギリギリ搭乗口に間に合った。満足げだった僕の顔は、カンクンに着陸後、荷物受取所にてどんどんと曇っていった。待てども待てども荷物は来ない。ついに荷物はひとつも残らず、先ほどのチェックインカウンターにいたヒステリックな女の子だけが残っていた。

その女の子は僕のところにきて、私たちがギリギリにチェックインをしたから荷物が積まれなかったのだと説明してくれた。彼女はチェックインカウンターでそのことを伝えてもらっていたらしい。それはヒステリックになるわな。

「どこかホテルはとってるの?」宿はとっていないことを伝えると、彼女は知り合いが近くに住んでるから一緒に来たら良いよと誘ってくれた。なんて良い人なんだ。ヒステリックな人だとか思ってごめんなさいと心から反省した。そうして私はピクミンのように彼女の後を着いていく。バスに乗ってから15分ほど歩くとフェリー乗り場に着いた。「友達は島に住んでるみたいなの」彼女の友達はどんな人なのだろう。カリブ海はどこまでも青く、西日になり始めている太陽の光をキラキラとゆらめかせていた。

イスラ・ムーヘレス島にフェリーが到着した。全長8kmほどの細長いこの島は、歩いて1時間もかからずに1周できてしまうほどの小さい。島の風景はとてものどかで、一直線に続く白いビーチにはヤシの木が並び、沖にはいくつかのクルーズ船が優雅に浮いていた。街の中にはいかにもなリゾートホテルやおしゃれ南国風のレストランもあれば、地元の人が住んでいるような素敵な民家があり、街角にはタコスの屋台が点在していた。彼女の友達はリゾート地に住むスーパーリッチな人なのだろうか、それとも昔からのこの島に住む現地の人なのだろうか。どちらも素敵だ。フェリー降り場から街中を歩きながら私の頭の中は友達の住まいでいっぱいだった。

「ここら辺だと思うんだけど。」10分ぐらい歩いたところでマリアが呟いた。リゾートホテルの裏側のビーチだった。少し高い丘から少し殺風景な浜辺と青いカリブ海が広がっているビーチを見下ろしていると、「あそこだ!」と彼女が友達を発見したようにビーチに走っていった。彼女が向かった先には、ビーチの上に2つポツリとテントが立っていた。私が泊めてもらう家は、リゾートマンションでも地元の民家でもなく、現代的なゲル式住居(テント)だった。どうやらあのテントが今日の宿になるらしい。私はテントに向かっていく彼女を横目に、丘の上から夕日に染まる綺麗な海を眺めていた。

4人のストリートミュージシャン

僕たちのホストは4人のストリートミュージシャンだった。4人は元々知り合いだった訳でもなく、それぞれが1人旅を続けていたところたまたまこの島で出会って共同演奏&生活を始めたらしい。彼らはミュージシャンを目指している訳ではなく、昔から音楽をしていたものもいれば旅中に音楽を始めたものもいる。

スペイン語も喋れない僕を彼らは暖かく向かい入れてくれた。カリブ海の海に期待を上げられた分、テントを見た時の落差が大きかったが、彼らとの生活は僕の空っぽの部分を満たしてくれるような豊饒な時間だった。荷物が空港に届いたにもかかわらず、迷いもなく滞在を延長していた。

彼らのルーティンを紹介しよう。毎日自由な時間に起き(だいたい眩しくて起きるのだが)、テントから出たら海へ一直線へ飛び込み朝シャンをする。昼と夜に適当なレストランで演奏をする以外は、涼しい時間はビーチで演奏をしたりダベったり、暑い時間は海で遊んだりブラブラ散歩したりして過ごす。要するに、レストランで演奏する2時間弱以外は特に何もしない。

彼らとの生活の中で一番衝撃を受けたのは、彼らのお金の使い方である。お昼時に演奏でお金を稼いだ彼らはそのお金の全てをビールに使ってしまうのである。ストリートミュージシャンという人たちがイマを生きていることは知ってはいたが、目の前で有り金の全てを投げ出してビールを買う人たちを見て、当時の僕はにわかには信じられなかった。

そしてその衝撃が、未来を持たない彼らと未来を持てない僕の圧倒的な違いであることを眩しいほどの光で照らし出した。


贅沢な時間

どうして彼らは未来のために生きず、今この瞬間を豊かに生きることができているのだろうか。

社会学者の三田宗介は「時間の社会比較学」で、近代精神の合理主義の社会構造が特定の時間意識の型を前提にしており、その時間意識の生成と構造を明晰する。
人間存在の自然からの自立と疎外、共同態の解体とそこからの個の自と疎外、2つの自立と疎外が生み出す時間意識が<抽象的に無限化される時間への関心>という構造となり、死の恐怖と生のむなしさを生み出していると述べている。

しかし、私たちは時間や紙幣のような客体化したシステムや、未来に向かって現在を組織する能力を放棄することは、おそらく可能でも望ましくもない。
我々は近代化される社会の中で獲得してきた能力を否定することなしに、どのようにイマを楽しむことができるのだろうか。

國分功一郎は「暇と退屈の倫理学」で、観念や意味の<消費>に対して、事物を十二分に受け取る<贅沢>を推奨する。

贅沢とは浪費することであり、浪費するとは、必要の限界を超えてものを受け取ることであり、浪費こそは豊かさの条件であった。現代社会では、その浪費が妨げられている。人々は、浪費家ではなくて、消費者になることを強いられている。ものを受け取るのではなくて、終わることのない観念消費のゲームを続けている。浪費は、ものを過剰に受け取ることだが、物の受け取りには限界があるから、それはどこかでストップする。そこに現れる状態が満足である。

國分功一郎「暇と退屈の倫理学」

彼らが有り金の全てを投げ出して買ったビールはかなりの<贅沢>だった。2013年、日本人の嗜好品にかける生活費の割合は0.4%以下であるというデータなんて必要ないだろう。

日本社会ほどではないにしても、メキシコも昔に比べると多くの部分が近代化されているに違いない。彼らも社会への生きづらさのようなものがあって旅人になったのかもしれない。海で遊び夕日を眺める時間もミュージシャンを目指していない彼らの楽器演奏の時間も現代人の人にとっては無駄なのかもしれない。でも彼らはその無駄の中に、自然や他者との協奏を見出し、心からそれを楽しんでいた。

彼らを見ていると、僕たちは近代社会にいながらも時間を贅沢に使うことができるのではないかと思えてくる。それがとても美しく思えるからだ。

彼らとの島生活のある日、ビーチの近くにある道端で真っ直ぐうつ伏せになって寝ている彼らのうちの一人を発見した。今まで見たことがない光景に僕は驚き、その横を通る観光客も心配そうに見ていたが、横から彼の気持ちよさそうな寝顔を見ることができ安心した。そして、その寝姿に見惚れてしまった。ヤシの木の木陰で地面に体をあずけ、完全な脱力感と安心感に包まれている背中で受ける重力がふかふかの羽毛布団のようだった。




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