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実写版 リトル・マーメイドを観て

6/9の今日、公開されたリトル・マーメイドを観てきた。

冒頭から海の中に引き摺り込まれていく。

いや、というより、手を引かれて共に泳ぎ、導かれている感じに近い。

2019年に公開された「アラジン」の冒頭でも、
魔法のじゅうたんに乗っているように「アラジン」の世界へ訪れる。
実写映画の導入として、王道になりつつあるのかもしれない。

私たちは気付かぬうちに魔法をかけられ、
容易く彼らの世界へ連れていかれていく。

この物語への入り口が私はたまらなく好きだ。




私はこの作品を観て、憧れへの希望を与えてくれる作品だと思った。
憧れへの希望と言われると少し難しいかもしれないが。


人は誰も、小さな憧れを抱き、それを叶えたいと生きる。

だが、その貪欲さを人々に露わにすることはない。
いや、露わにすることが怖い。


イタイやつ。夢を見ているだけだ。


人からそう言われるだろうと勝手に妄想し、
気付いた時には自分への暗示のように鍵をかけていく。

そしてその鍵をどこかになくしてしまう。

だから、こうして、毎日、私たちはその鍵を探している。

なかなか見つからないその鍵は、いつの間にか、まるで存在していなかったように消えてしまう。


ハリー・ベイリーが演じるアリエルがパート・オブ・ユア・ワールドを歌うシーンは、まさに喉から手が出るような「渇望」という言葉が当てはまるように憧れへ手を伸ばす。

私はいつから憧れへ手を伸ばさなくなったのだろうか。
いつから、鍵を失ったのだろうか。


こんなにも憧れることは美しく尊い。
こんなにも輝き、素晴らしい。

決して、憧れた場所へ向かうことは容易ではない。
だが、こんなにも希望に溢れていることは他にはない。

子どもの頃に夢にみた、ヒーローになりたい。プリンセスになりたい。
そんなたくさんの鍵をいくつなくしてきたのかわからない。

まずは、たくさんの鍵を思い出そう。
そして、一つずつ、小さく叶えていこう。
もしかしたら、今だったら叶うことがあるかもしれない。
もし今叶わないのならば、いつか引き出しから鍵を出してこよう。

そんな憧れの鍵たちがきっと宝物のような気がするから。




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