生きる意味

他人のために生きている人生には、自分で決断する責任は降りかからず、楽をして生きていけるかもしれない。しかしそれでは、この世界に生まれた意味もないんじゃないだろうかと考える。
自分が生まれたくて生まれたわけではないこの人生だから、そもそも意味はない。だから正直、生きる意味もない。
それでも感じるのは、この体が生きようとしているということ。生物は本能的に生きようとしているわけで、人間も動物の一種で、生物のひとつのかたちだろうから、自分が意識していなくとも生きようとしていると感じる。
なんだかんだ、自分で考えることで生きているようにも見えるが、考えなくともこの体に生かされていると思う。
人は、生かされている。
そもそも、生きる意味を問うことすらしない人が多いであろうこの世界で、しかも生きるという本能に反するかもしれないその疑問に向き合った人は、それだけ追い詰められていたのではないかと思う。
もしくは、それすら感じられないほどに、心も体も弱っていたのかもしれない。
僕が思うのは、考えて生きている人は強いということ。
生きる意味を問い、それでも生きようとする人は、生きる力が強いのだと思う。本能的に生きようとしている体に対して、何度も考えて生を後押ししているということは、それだけ人よりも生きようとしているからだと思う。
そもそも生きる意味を問うている時点で危ないっちゃあ危ないが、そういうリスクを取らなければ強くは生きれないかもしれない

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?