価値と取引の同時性

歴史の同時性と神様の創造目的

1903年、アメリカの人類学者であるファーネス(Furness)は、南太平洋のミクロネシア・キャロライン群島のヤップ(Yap)島を訪れた際、興味深い事実を発見した。

当時ヤップ島で暮らす人々は、フェイ(fei)と呼ばれる石(stone)を貨幣として使用していた。彼らは皿ほどの大きさのものから、臼ほどの大きさの石に至るまで、丸い形の石を貨幣として使用したが、これは既存の果実、家畜、煙草などとは違った形態の物品貨幣とみることができる。

ヤップ島の人々は、小さめの石(fei)は手から手に簡単に移すことができたが、大きめの石は簡単に移すことができるように中央に穴をあけて使用した。しかし、非常に大きな石は、あまりにも重かったため、一か所から永遠に動かされなかった。

だが、不思議なことは、非常に重い石を利用し大規模な取引をする時には、人々はこの石をそのまま置いた状態で、所有権が変わったという事実を互いに認めることだけで取引を終わらせた。そして、石に小さな印をつけて、所有権が移転されたことを認めた。一種の口座振替というわけだ。

時間が流れても変わらないお金の取引方式

100余年後の今日、世界金融のメッカともいえるアメリカ・ニューヨークの米連邦準備制度理事会(FRB)の地下金庫に行ってみると、世界各国の中央銀行が預けた金(gold)が保管されている。この金は、各国の中央銀行が外換保有額の一部として保管している金だ。

しかし、このような金が国家間で取引された時、金塊が国境を越えたり、海を横断して動いたりはしない。例えば、イギリスとフランスが金を取引した時、金庫内の金の保管業務を担当する者は、イギリスの金が保管されている部屋(compartment)へ行き、台車に金塊を積み込んでフランスの部屋に移した後、金塊に捺印された印(earmarking gold)を変えて、帳簿に変更内容を記録するというように、簡単に処理する。

このような、米連準の地下金庫での金の保管と取引の手続きは、100余年前、ヤップ島の人々の石の保管と取引の手続きをそのまま移しておいたようにみえる。100年という歳月の差は存在するが、昔も今も大きな変化がないこのような取引方式は、過去にあったものが現在にもあるという御言葉を想起させるようだ。

信頼を基盤にしているお金

鄭明析牧師は今までの間、数多くの説教を通して、歴史は次元を高めながら同時性的に流れていくとおっしゃった。昨日から今日が始まり、今日から明日が始まるのであり、それだから過去にあったことが現在にもあり、現在にあったことが未来にもあるだろうという御言葉だ。結局、神様の旧約、新約、成約歴史は、次元を高めながら同時性的に進行した歴史だ。

(参考)
<伝道の書1章9節>
先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。
<伝道の書3章15節>
今あるものは、すでにあったものである。後にあるものも、すでにあったものである。神は追いやられたものを尋ね求められる。

だが、ヤップ島で1番のお金持ちが持っている石は、海の底に置かれている。過去の彼の祖先が、その石を舟で運んでいた時、嵐に遭ってその巨大な石が海に沈んだという。しかし、その島では実際に海に石があるのかないのかわからないが、この事実の真実性を誰も疑わず、その石が持つ購買力を受け入れている。同じく万が一、米連準が保管している金が地下金庫に存在せず、ニューヨークのハドソン川に沈んでいるとしたらどうだろう?金を見ることはできないが、帳簿上に続けて取引が進行されるなら、誰もその取引の真意を疑いはしないだろう。

これは、お金が持つ特性が、基本的に人々の信頼に基盤をおいているからだ。つまり、石それ自体では何の価値もないが、社会の構成員全員がお金としての価値を認めるから、お金としての価値を持つということだ。今日、法定通貨(legal tender)は法によってその価値と通用力が保証されるのだ。

過去と現在のお金が持つ価値と取引は、結局、人々の信頼という社会的な約束があったからこそ可能になったように、旧約、新約、成約という神様の歴史はまさに神様の約束、すなわち愛を成そうとなさる創造目的があったからこそ可能だった。万が一、神様がこのような愛の約束を破ったなら、6千年の神様の歴史は、ただ単なる時間の流れに過ぎなかっただろう。お金に対する人々の社会的な約束がなかったなら、まるでヤップ島の石が石に過ぎず、米連準の金がただの金に過ぎなかったように。

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