宗教という名分を掲げて行なわれる貪欲の歴史

怒りと悲しみをもたらしたパリのテロ

数年前、フランスのパリで起こったイスラム・スンニ派過激派集団ISのテロにより、全世界の人々は怒りと悲しみに包まれた。彼らは罪のない人々に銃を乱射しながらも、「ジハード」、すなわち聖戦を云々した。だとすれば、彼らの行為は「聖戦」という名のもとに正当化されるのだろうか。絶対そうではない。実際「聖戦」は一つの名分にすぎず、「聖戦」の裏には人間の貪欲が居座っているだけである。

過去、中世ヨーロッパのキリスト教が、エルサレムを掌握したイスラム勢力を追い出そうと敢行した「十字軍」も、表面的には聖戦を掲げたが、その裏には教皇権の強化や封建領主と騎士たちの新しい領土支配の野望、商人の経済的な欲求や農民の身分向上の願いなどの複雑な利害関係が絡んでいた。しかし、200年間の8回にわたる十字軍戦争にもかかわらず、最終的には十字軍遠征は失敗に終わり、教皇権は意図に反して弱体化してしまった。

黄金に目がくらんだスペイン人

16世紀、スペインが南アメリカを征服する際にも、彼らは「キリスト教伝播」という名分を掲げたが、実状は略奪に近かった。彼らは異教徒と戦う聖神の軍隊だと言いながら剣を抜いていたが、実は彼らの目的は黄金であり、彼らは黄金でしか癒されない病気にかかった人だといわれるほど貪欲に染まっていた。

結局、黄金に目がくらんだスペイン人によって、きらびやかな文明を花咲かせたメキシコの「アステカ文明」と南米の「インカ文明」は悲劇的な終末を迎えた。1519年現在、メキシコシティのテノチティトラン(Tenochtitlan)に到着したコルテス(Cortes、1485〜1547)は、自分たちを盛大に迎えてくれたアステカ王を人質にして、アステカ文明を無惨に踏みにじった。当時アステカ帝国の人口は約500万人に達し、首都テノチティトランは人口が30万にもなる大都市だったが、自分たちが乗ってきた船をすべて燃やす背水の陣を張ったコルテスには歯が立たなかった。結局、1521年、コルテスをはじめとするスペインの征服者たちは、とうとうアステカ帝国を滅亡させた。その後コルテスはテノチティトランの名前をメキシコシティに変え、スペイン国王から総督兼総司令官に任命されたが、1547年寂しく人生を終えた。

インカ文明を倒した「フランシスコ・ピサロ」

またアメリカ大陸で最も強力だったインカ文明も「フランシスコ・ピサロ(Francisco PizarroGonzález、1478〜1541)」によって無惨に征服された。コルテスがアステカ帝国を滅亡させたニュースがスペイン本国に伝えられ、多くの追従者が生じたが、ピサロも彼らのうちの一人だった。彼は聖書をインカの皇帝である「アタワルパ」に与えながら、キリストとスペイン王に忠誠することを要求した。しかし、ピサロの本音を知らない皇帝が聖書を叩きつけると、待っていたかのようにピサロは5千人のインカの兵士たちを無惨に殺した。その後、ピサロは皇帝を利用して、インカの金銀財宝を奪った。しかし、最終的にはスペインの征服者たちの間の内紛により、ピサロは1541年に殺害され、彼の四人の息子も処刑されたり、刑務所に入れられるなど、不運に人生を終えた。

宗教の名分を掲げて行われる人間の貪欲

このように、宗教の名分を前面に出して、自分の貪欲を満たして略奪に明け暮れる行為は、過去にも現在にも続いている。今日ISが「聖戦」のために命を惜しまず過激なテロに明け暮れているが、実際その姿は悪魔の姿である。彼らが叫んでいる「聖戦」は真実ではなく、背後にアルカイダとの主導権争いなど、様々な利害関係が絡んでいる。今後もISの蛮行は続くかもしれない。しかし、絶対に正当性は確保することはできないだろう。

人類の歴史を振り返ってみると、常に新しい神様の歴史は、既得権勢力によって「異端」という名分で迫害を受けてきた。しかし分かってみると、その背景には様々な利害関係が絡んでいた。しかし、結局過去の歴史は何が神様が行なわれたことなのか、その結果を示している。根拠なく妬み嫉妬して悪評する行為自体は、まるで海を覆った雲のようで、結局は無で終わってしまう。この時代、神様が進行しておられる歴史において、悪評と偽りは消え、完全な愛と喜びだけが充満することを願ってやまない。

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