人生の機会費用

機会費用とは

私たちは人生100年を生きる時、無数の選択をしながら生きている。一言で人生全体が選択の連続といっても過言ではないが、では、どんな選択をすることが最も望ましく、後悔しない選択だろうか?その答えは、他ならぬ「機会費用」を最少化する選択である。

「機会費用(opportunity cost)」とは、複数の可能性のうちいずれかを選択した時、その選択によってあきらめなければならない最大の価値のことである。そのため、人生において最も合理的で望ましい選択は、その選択によってあきらめざるをえない費用、つまり、機会費用を最小化する選択をすることである。

機会費用と時間

ところで、何か選択をする時は、常に時間も考慮する必要がある。それは、現在の間違った選択が将来的には取り返しのつかない損害を招く可能性があるからである。たとえば、大学入試を控えた高3生や浪人生が一時的な感情でその時を逃したら、それは一生の間の莫大な機会費用を誘発することになりうる。そのため、「機会」は別の言葉で「時間」だとも言えるし、「時」だとも言える。

大学入試センター試験を目前に控えた受験生や生死の岐路を行き来しながら時間とにらめっこしている人、締切日までに終えるべき差し迫った仕事を処理しなければならない状況にいる人ならば誰でも、時間を確保したいと思うだろう。おそらく絶対に時間が足りないことを感じて「私にもう少しだけ時間が与えられたならば」と思いながら、一方で「時間を思い通りに調整することができれば、どれほどいいだろう?」という想像をするかもしれない。

時間をつかむ方法、機会をつかみなさい

しかし、絶対的な時間を私たちが勝手に増やしたり減らしたりすることはできない。しかし、「機会」という時は、私たちに絶対的な時間を勝手に増やしたり減らしたりする魔法をかける。その魔法はまさに、与えられた時間を2倍、3倍、4倍に活用することである。つまり、単純に流れていくクロノス(Chronos)的時間の中からカイロス(Kairos)的時間を引き出すのだが、より具体的には、与えられた時間にもっと集中したり、睡眠を減らしたり、または隙間時間をいい加減に過ごさない方法である。

もし、私たちが日常生活において退屈な日を同じく繰り返すとしたら、その人は繰り返される時間という監獄に閉じ込められ、絶対に幸せになることができないだろう。しかし2倍、3倍、4倍の時間の活用は、その監獄を脱出するための鍵となる。したがって、私たちはどのような考えや行動をするかによって、1日を1年より長く生きることもできるし、1年を1日より短く生きることもできる。聖書にある一日が千年のようで、千年は一日のような人生になりうるのである。

イタリアのトリノ博物館に行くと、前髪はふさふさで後頭部ははげており、足には翼が付いていて、手には秤と剣を持っているカイロス(Kairos)彫刻像を見ることができる。前髪がふさふさしているのは、人々が機会を容易につかまえることができるようにするためであり、後頭部がはげているのは、機会が過ぎ去った後は、つかめないようにするためであり、足に翼が付いているのは、最大限早く過ぎ去っていくためであり、秤を持っているのは、機会が前にある時に秤を取り出して正確に判断せよということであり、剣を持っている理由は剣のように決断せよという意味である。

人生で最も価値のある選択

もし今、私たちが人生最後の機会の瞬間に立っているとしたら、どのような選択をするのが最も機会費用が少ない選択であろうか?人によって人生の機会費用は違うだろうが、確かなのは、このような人生の機会費用は、この世100年の人生を極めた後、私たちの霊が生きていく永遠の世界のことまで念頭に置く必要があるという事実である。たとえば日曜日に世の中に遊びに出かけず、主の御言葉で私たちの霊魂を変化させることこそが、最も機会費用が少ない、最高に合理的な選択をすることである。永遠な世界の価値を知っていれば、の話だ。今日も喪失する価値に投資するよりも、永遠な価値に時間を使って人生の機会の時を確実につかむことを祈る。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?