メディチ家の興亡から見るお金の限界

何でも買えるという錯覚

イギリスとフランスの百年戦争(1337〜1453年)に伴い、多数のイタリアの銀行が破産した後、14世紀末に一歩遅れて登場した家門がまさにフィレンツェ最高の銀行家であったメディチ家である。メディチ家は、人類史上最も裕福な一族の一つであり、16世紀に教皇を二人も輩出し、フランス王室に娘を二人も嫁がせ、フィレンツェの芸術家たちを後援して華やかなルネッサンス時代を切り開いた一族である。私たちがあまりにもよく知っているミケランジェロ、君主論を著したマキャベリ、画家かつ建築家であったラファエロ、「デカメロン」の著者ボッカッチョなど数多くの芸術家たちを後援し、14〜16世紀のルネッサンスを起こした一族である。

メディチ家は、イタリアのフィレンツェで金融業だけでなく様々な商売によって莫大な富を創出した。そして、そのような強大な富をもとに、政治、軍事、外交、租税などあらゆる分野を統制し、不満のある人々を探し出して排斥したり、お金でなだめすかしたりした。その権勢と力があまりにも莫大で、メディチ家は人類の歴史においてお金でできるすべてのことを示したと言っても過言ではないほどだった。

だからだろうか。14世紀のイタリア人は、お金があれば何でも買えるという錯覚に陥り、その錯覚は時間が流れるにつれ一層ひどくなった。地獄で苦痛を受ける量刑を減らすといって免罪符を取引し、戦場で命をかけて代わりに戦ってくれる傭兵も、お金で取引した。また、お金で女性を売買するなど、おぞましい取引もためらいなく行なった。

神学者ジロラモ・サヴォナローラ 

ところが、このように強大な富の力を誇示するメディチ家を崩壊させたのは、他でもない神学者だった「ジロラモ・サヴォナローラ(Girolamo Savonarola)」だった。彼は行く先々で金持ちで権力のある人たちに、悔い改めるよう咎め、メディチ家の独裁政治と金銭万能主義を糾弾した。メディチ家のロレンツォがいくら金でなだめすかそうとしても、ただ聖書一冊により頼んだサヴォナローラを説得することはできなかった。結局、1494年にフランスがフィレンツェに侵攻した際、サヴォナローラはフランスと手をつないでメディチ家の独裁政権を打倒してしまう。

実は、メディチ家が活動した時代は、貨幣が通用しなかった長い中世が幕を下ろした時だった。そのうち、貨幣経済の時代に入り、人々はお金が持つ、どうしようもない力に魅了されたのかもしれない。そのようなお金の力がどれほど強大だったのか、14世紀当時のイタリアの風刺詩では、お金で天国も行き、悲しみも追いやることができると歌っているほどだった。

お金が人を偉大にし
お金が人を博識にし
お金が罪を隠してくれ
お金が他人の羨望を買い
お金が目が奪われるほど素敵な女性を備えてくれ
お金が霊魂を天国に送ってくれ
お金が取るに足りない人を高尚にし
お金が敵を地面に倒す

ゆえに、お金がないと身代をくいつぶし身を滅ぼす
この世の万事はお金で回っていく
お金さえあれば天国も行くことができるから
賢明な者たちよ、お金を備蓄せよ!
美徳以上のお金は、悲しみも追いやるだろう!

高貴で神聖なもの

しかし、お金がいくら全知全能に感じられる時代だったとしても、高貴で神聖なものまでお金で売買することはできないものだ。マルクスは「一晩を一緒に過ごした快楽の相手とは金銭取引をするが、胸がえぐられる初恋との別れにおいては、金銭取引を考えることはできない」と言った。天下の唯物論者が考えても、お金にできないことがあるのだ。

ロレンツォが病床で死に行く時、ロレンツォの切実な願いにより、サヴォナローラが終油礼(病者の塗油)を執り行なったという。そしてロレンツォに、天国でも今のように生きるつもりなのかと尋ねた時、ロレンツォの答えは「いいえ」だった。貧乏な1人の神学者の信念と原則の前で崩れてしまったメディチ家の歴史が与える教訓は、お金が持つ限界が何なのかもう一度振り返らせてくれる。

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