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ジェニンの友達

私は親友という言葉が好きじゃない、優劣をつけているような気がするからだ。
私の友達のハードルは多分高くて、知り合いと友達に実は明確な境界線がある。
知り合いは少なくないけど、友達は極端に少ない。

ジェニンの彼らは私の子供でもいいくらい年下だ。大学生である。
彼らは私を姉さん、くらいな感じて接している。またはジェニンキャンプの先輩としてキャンプでの過ごし方を教えてくれる。
同年代の友達として街でシャワルマ を食べてジュースを飲んで共に過ごす。

私たちが親友になったのは自分たちの秘密を共有したからだ。
裏切りはなし、クロースフレンド、日本語でなんていうの?

親友かな

持ち合わせのボールペンで手の甲に日本語で親友と書いた。

私たちは共にジェニンキャンプの空爆を生き延びた。私が日本に着いた頃、彼らはまた空爆下にいた。
毎日ジェニンキャンプには軍事侵攻があり昼夜問わず軍事車両が列をなしてやってくる。
そんなある日、写真左の友達の誕生日がきた。

現地は毎日の激しい攻撃に疲弊していることはわかっていた。でもどうしてもおめでとうが言いたかった。

友人が今存在していること、そのことを祝いたいという気持ちだった。
私たちが再会できる保証はない。
それでも今生きていることが何よりも尊い。

ボイスメッセージでおめでとうを送った。


Documentary film: DAYS JENIN CAMP

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