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今までの人生で一番辛かった中学時代の話をしたい

私は、地元の公立中学に入るまで、人間の善性を無条件に信じていた。
「周りの人はみんな良い人ばかりだ!」と純粋に本気で思っていた。

でも、中学校に入ってから、人間には醜い面もあるのだと思い知った。
(※この先、あまり愉快でない話が続きます。話の内容が合わない場合は、そっ閉じでお願いします。)


クラスメイトの女の子に関する話

幼稚園から小学校までずっと一緒にいて、仲の良かった幼なじみと中学が離れることになり、不安を抱えながら入学式を迎えた。

近隣の小学校3校の生徒が一堂に集まるマンモス中学だったので、小学校時代からの知り合いは何人かいたが、特別仲が良かったわけでもなく、まずは友達作りから始めなければならなかった。

周りのクラスメイトは、小学校時代から仲の良い人たちの集団で固まってしまっている。すでに出来上がっているグループに入る勇気は無い。

早く友達を見つけないと、私はひとりぼっちになってしまう。

人に話しかけるのは大の苦手だったけど、背に腹は代えられない。
勇気を出して、教室に1人で座っていた女の子に話しかけた。出身小学校が違ったので、正真正銘の初めましてである。

私はその女の子ともっと仲良くなりたいと思っていたが、なかなか距離を縮められなかった。
今まで一度も会ったことがないのだから、打ち解けるのに時間がかかるのは、当然と言えば当然である。ただ、こっちもこっちで必死だったのだ。

元々少ない勇気を振り絞って、私から話しかけに行くことが多かったため、だんだんと疲れてきて、彼女と話す機会は自然と減っていった。私は1人でいることが多くなった。

クラスの女子グループは、1人でいる私を遠巻きに見て、何かヒソヒソと話している。何を話しているのかは分からない。

ああ羨ましい。
あなたたちは、たまたま同じ小学校出身のお友達が近くにいたから、それほど苦労せずにグループの輪に入れて、明るい学校生活を送れているんだろうけど、私なんて、中学で幼なじみと離れ離れになったから、こうして地道に一から友人関係を作っていかなきゃいけないのに。

昼休みになると、いつも逃げるように学校の図書室へと向かった。
教室で自分の席にポツンと座っていたら、クラスメイトから好奇の目で見られるだけだし、廊下はおしゃべりする女の子の集団でごった返している。
どこにも居場所なんて無い。

中学生の女の子は、休み時間も、教室を移動する時も、トイレに行く時も、いつもグループで行動する。集団こそ正義。1人でいれば、すぐさま噂話のターゲットにされる。心休まる暇が無い。
反面、図書室で本を読んでいれば、1人でいても誰にも怪しまれないので安心していられる。ただそれだけの理由で図書室へひたすら通い続けた。

でも、私にとって「逃げ場所」だった学校の図書室も、毎週水曜日はお休みだった。
水曜日だけは、図書室以外のどこかで長い昼休みの時間をつぶさなければならなかった。
あまりよく覚えていないが、この日だけの辛抱だからと、教室の片隅でじっと時間が過ぎるのを待っていたような気がする。

そんなわけで、私は集団でヒソヒソと陰口や悪口を言う人たちが大嫌いになった。


クラスメイトの男の子に関する話

私が近づくと、まるで私が悪臭を放つゴミであるかのように、思いっきり体を反らして通り過ぎる男の子がいた。
すれ違おうとすると、それはもう見事なエビぞりを決めるのだ。体の一部分でも触れ合うのがよっぽど嫌らしい。
彼の言動の意味は、今でもよく分からない。ただ、そんなことをされて良い気分でなかったのは確かだ。

隣の席になって、ちょっと仲良く話すようになった男の子がいた。
私は主に話を聞く側に回ることが多かったが、彼がとても楽しそうに話すので、聞いている私も楽しい気分になった。

なのに、ある日を境にその男の子の態度が急変した。
まるで仇でも見るかのような目つきで、憎々しげに私を睨んでくるようになったのだ。私は全く心当たりが無かった。知らないうちに、彼にひどい言葉を投げつけていたのだろうか?

原因も分からないまま、彼との関係はそれっきりになった。
今までは何ともなかったのに、どうして突然そんな態度を取るようになったのか、全く分からなかった。私が1人でいることが多かったから、足元を見られたんだろうか。
彼と過ごす時間は嫌いではなかったのに、残念だった。

ある男子生徒にいじめられている数学の先生がいた。女性だった。
私も遠目に見ただけだが、罵詈雑言を浴びせられ、時には殴られていたこともあった。

加害者の男子生徒は、私と同じ小学校出身だった。
小学校時代は同じクラスになったこともあり、とても先生をいじめるようなタイプには見えなかった。中学に入って相当やさぐれたらしい。

その先生は、結局学校を辞めてしまった。
それを見た私は、将来中学校の教師にだけは死んでもなるまいと決意した。


部活に関する話

部活は、音楽系の中から選ぼうと思っていたが、吹奏楽部は練習がきつそうだったので、「音楽部」に入部を決めた。
「音楽部」と言えば聞こえはいいが、ハンドベルを鳴らして曲を演奏するだけの地味な部である。近所の公民館で、おじいさんやおばあさん相手によく演奏会を開いた。

部員は、1つ上の先輩が3人いたが、そのうち1人はほとんど見かけなかったので、実質2人だった。部長のA先輩と、副部長のB先輩である。
同学年は10人ぐらいいたような気がする。途中で2~3人辞めたので、正確な人数は分からない。

そこでも人間関係はドロドロだった。部活で過ごす時間が苦痛だった。
ただ、冬の時期だけは違った。冬は暗くなるのが早いので、下校時刻もその分早まる。放課後になってから1時間も経たずに部活が終わる。16:30に流れる下校のチャイムは、私の救世主だった。

秋に行われる合唱コンクールに向けて、クラスの教室の壁に1人ひとり目標を書いた紙を貼ることになった。
私は、「みんなで力を合わせて優勝!」と書いた。
それをわざわざ教室まで見に行ったらしい副部長のB先輩と同学年の子たちが、部室に戻ってきた後、私に向かってギャハハハハ!と汚い声で笑った。

たぶん、私が女の子らしくない、印刷したかのような角々しい文字で書いていたから、それが面白くて笑っていたんだろう。わざとじゃないのに。こういう文字しか書けなかっただけなのに。
嘲笑が耳にこびりついて、いつまでも離れない。

部長のA先輩とは、部活の出欠連絡も兼ねて互いのメールアドレスを交換していた。
ある日、A先輩からメールが飛んできた。
「○○(私の名前)からこんな相談受けたんだけど。キッショ!」

その後、A先輩から慌てて謝罪の連絡が来た。
私の相談にも乗ってくれる気のいい先輩だと思っていたのに、裏ではこんなこと思っていたんだ。ショックだった。
もう誰も信じられない。

部活にどうしても行きたくなくて、適当に仮病をでっち上げてサボったこともある。
家の鍵は持っていなかったから、母が帰ってくるまで1時間ぐらい玄関の外で待っていたこともあった。心細かった。

今思えば、サボるくらい嫌だったのなら、さっさと部活なんて辞めてしまえばよかったのに、当時の私は、「仮病を使ってまで部活をずる休みしてしまった自分」に対して惨めな思いを抱いていた。

逃げることに罪悪感を感じていた。逃げるのが悔しかった。
だから、どんなに人間関係に嫌気がさしても、同学年の子が辞めていっても、私は意地でも部内に残り続けた。

中3になって、顧問が女の先生から若い男の先生に変わった。
この若い男の先生によって、ハンドベルから軽音へと部活の方向性がシフトチェンジした。
ギター、ベース、キーボード、ドラムの1組4人でバンドを組むことになって、私はキーボードを担当することになった。

人数の関係上、バンドは2組に分かれていた。部室にキーボードは1台しかなかったので、それはもう1人のキーボード担当に譲り、私は部室のピアノを使って練習した。
ピアノを使うには、顧問の男の先生から毎回ピアノの鍵をもらわないといけなかった。その時の顧問の態度が、とてもぶっきらぼうだった。

この顧問、同学年の他の子には愛想よく接しているくせに、私に対してだけぞんざいな態度を取っていたのだ。
こっちが1人でいることが多いからと、完全に舐めてかかっているのが丸わかりである。許せなかった。

人を見下して、舐めた態度を取ってくる人は心底軽蔑する。


書こうと思った理由

当時の感情を文字として書き残すために、あの頃の記憶を引っ張り出す。
ジクジクジクジク。心臓のあたりがずっと痛かった。

こんな痛みを伴ってまで、どうして当時のことを文字に残そうと思ったのか?noteには、辛い経験や過去を打ち明け、自分の本心をさらけ出している人がたくさんいる。その人たちの文章に背中を押された。

私が今までの人生の中でいちばん辛かったのは中学時代だった。
noterさんの書く赤裸々な文章が、過去のトラウマと向き合う勇気をくれた。
あの時感じた苦悩を、葛藤を、無かったことにしたくないと思った。

中学を卒業してからもう10年以上は経つというのに、これだけ鮮明に文字として書き残せるとは思ってもみなかった。
ーーいや、それも当然か。だってこの傷はきっと一生消えない。でも、年をとればどんどん記憶は薄れていく。そうなる前に書き残すことができてよかった。

書いてみて改めて気付いたけど、昔の私は相当我慢強かったらしい。
これだけの苦い思いを味わいながらも、1日だって学校を休んだことはなかった。「行かない」という選択肢さえ浮かばなかった。

友達付き合いはダメダメだったけど、勉強するのは嫌いではなかったから。
授業を受けるのは楽しかったから。
あとは意地。

自分、あの時はよく頑張った。毎日学校に行って偉かった。
逃げなかったから今の自分がいる。誇りに思っていい。
辛かっただろうに、学校に行き続けてくれてありがとう。

最後に。
中学生という多感な時期に、これだけの悪意を身に浴びてきたので、正直今でも人間は怖いし、信用するのは難しい。

ただ、物事に対して一生懸命真剣に取り組んでいる人は純粋にカッコイイと思うし、その姿勢だけは信じられる。

人は、好きなことに夢中になって忙しくしていれば、他人をいじめている暇なんて無いのだ。
寝食や時間を忘れるくらい熱中できることを見つければ、人の悪意なんて気にならなくなるし、人間関係のいざこざも少しは減るんじゃないか・・・と思っている。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


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