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自分を納得させるための魔法の言葉

崩れつつある社会の仕組み

近年、年功序列という考え方は薄れつつある。
2000年くらいまではもちろん当たり前のようにあったその仕組も、時が経つにつれ変革しようとしている。
そういった変革は必然だと思うし、時代が変われば仕組みや人も変わるべきだと思う。

ボクが会社員として勤め初めたとき、ある先輩からこんな言葉をいただいた。

「俺が今の時代でウエツの歳なら、就職せず自分で会社をやるな」

この言葉は、当時50代の先輩が仰っていたもの。
その時は、
「そんなこと言っても、あなたは社会を経験してきて、色々な知識や知見をお持ちなのだから、それを踏まえてのことなんでしょう」
と思うのが精一杯だった。
当時のボクの考えや経験値ではそう思って当然だろう。
なにせ、完全に社会や情報を信用し、年功序列でどこまでいけるか?くらいに考えていたはずなので。

ただ、その2005年あたりでは既に仕組みの多様化は始まっていた。
ボクは全く気付いていなかったが、もう少し前に始まっていたのかもしれない。
年金を筆頭に、社会の仕組みは時代に追いつかなくなっていた。
別に年功序列とか年金という仕組みを否定しているわけでなく、時代に沿って変わっていくことが必要なのではないかということ。
誰が良いとか悪いとかではなく、国全体で気付かない振りをしていたのかもしれない。

透明性は「変革」を生み出した

インターネットが普及し、様々なことで透明性が増し、情報が明るみになるにつれて、皆、何かがおかしいことに少しずつ気付いていたに違いない。
気付き始めた人は、まず自分が変わって「変わらなければならない」ことを発信し続けていた。
それに気付き、共感・賛同した人たちが動き出し、小さなムーブメントになっていった。
マジョリティのメディアでは表出しないものが、マイノリティのメディアに表出し、いつしかどちらがマジョリティかも分からなくなってしまっている。

そいうった「変革」を起こした人は、
天才
先駆者
時代の寵児
成功者
リーダー
などと呼ばれ、今や社会に絶大な影響を与えている。

けれども、この人たちは自らのことをこのように思っていたりしない。
きっと、そこに至るプロセスには様々な紆余曲折があり簡単にたどり着いたものではないから、なのだろう。
失敗しかしてこなかった
成功の何倍も失敗した
途中で止まっているプロジェクトはいくつもある
そんな言葉をよく聞く。

自分を納得させるために

では、なぜこういう言葉があるのか。
それは、周りがそう思って呼んでいるからにすぎない。

「この人は天才だから・・・」
そう呼べば、そう思えば自分とは違うことが一言で証明できる。
要は、自分には出来ないだろう、自分ではたどり着くことができないだろう、という思考の理由にしたいだけのようだ。
つまり、やらない自分を納得させるために、「変革者」を自分とは違う人種と位置付けてしまっている。
天才やリーダー、成功者は結果であって、そのプロセスを見れば失敗や挫折、苦悩を抱え、それでも努力や積み重ねを続けてきた人たちなのに、それをすっ飛ばしてしまっている。

人はそれぞれ特性がある。
リーダーに向いている人とそうでない人。
だからこそ、全員がリーダーになる必要はない。
以前の記事にもあるように、リーダーばかりが集まっても意味がない。

それをフォローする人、それに共感する人、そういった人たちの力が絶対的に必要で、結果的に何かを初めた人が天才やリーダー、先駆者と呼ばれることになる。

だからこそ、
あの人は天才だから上手くいったんだ
〇〇さんだから出来るんだ
と思う前に、一度飲み込んで小さなことでもいいから初めてみた方がいいと思う。
あの人を真似してこんなことをやってみよう
〇〇さんが出来るんだから自分にもこんなことができるはず

そんな想いが新しい自分を生み出すはず。

こんな上から目線で書いているけれども、ボクもやはり「天才」や「先駆者」という言葉を遣いたくなってしまいます。
だからなるべく、凄い!と思った人たちのことを真似しよう、と。
何も思い付かないからやらないのではなく、何かが創り出せるようになるまで真似だけでもしてみよう、と思っています。

みんな自分のことを卑下する必要はなくて、初めるのに遅いということはない。
会社員とか起業家とかフリーランスとかそいういったものは一切関係なく、少しでもボクと同じようなことを思って共感して動いてくれる人が増えたらなという想いだけです。
そんなみんなが何か初められるようなプラットフォームを創っていきたい。


GOING MY WAY.

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