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息子とじぃじの話・お別れの日は近づいていた

じぃじは息子がせめて成人するまでは生きていたいなあ。とよく言っていたものです。
秋頃、じぃじが入院先の病院から別の病院に搬送され、かなり危険な状態だと知らせがきました。すぐに病院に駆けつた私と息子でしたが、HCUで面会したとき、じぃじは昏睡状態で変わり果てていました。
さんざん今まで、じぃじの具合が良くない時も(意識がほとんどない状態でも)、お見舞いに通い続けていた息子でしたが、この時は本当に動揺しており、それにいち早く気づいた看護士さんが、すぐに息子を連れてHCUの外へ出ました。

しばらくすると、息子は看護士さんに付き添われ戻ってきたのですが、その後、息子が取り乱しそうになったことは1度もありませんでした。看護士さんといったいどんなお話をしたのか、息子に聞いてみたことはあるけれど、「じぃちゃんもがんばってるからね」とかお話しした。と言うだけで、あとはどんな話をしたのか分かりません。
お名前すらわからない、失礼かもしれませんが、お顔さえ覚えていないその看護士さんに、いまだに感謝しかありません。

その後、じぃじがHCUから出て一般病棟に移りました。意識はずっと戻っていなかったのですが、私と息子は毎日、面会に行きました。
返事はなくても、毎日、健気にじぃちゃんに話しかけたり、応援したりする息子。
じいちゃん、意識はなくとも絶対!息子の声は届いていたと思う。

それから間もなく、確執のある実母から電話で、いきなり元の入院先にじぃちゃんが戻された。と連絡がありました。
じぃじが意識不明の昏睡状態に陥ったきっかけは、元の病院でのインフルエンザ罹患が原因でした。

認知症が進行していたじぃちゃんは、とある理由で(ここは話すとかなり長くなってしまうので割愛しますが)隔離病棟での入院だったため、病院がインフルエンザを疑いもしなかったので対応が遅れていたようです。
まさか隔離病棟にインフルエンザがと疑いもしていなかったようで、インフルエンザと診断ができたのは、発症から5日も経ってからのことだったそう。
それから、食事を摂れなくなり意識がなくなり、なんでこんな状態で放置されてたの?と後から、悔しさが込み上げてきましたが、その病院にじぃちゃんを戻すってどういうことよ?!

しかも、隔離病棟は一般の人は中に入れません。
なので、面会も面会室に看護士が連れてきてくれたら会えるけど、
寝たきりのあの状態では、もうじぃちゃんの顔を見ることもできない。私と息子は、言葉を無くしました。

おそらくあの状態から、じぃじが元気に復活し、再び面会室へ足を運べることはないだろう・・・
いつもどおりの面会、「また明日ね^ ^」が、いきなり断ち切られてしまったのです。
ばぁちゃんの世間知らずの優等生気質が、このときほど憎らしく思ったことはなかった。

「じぃちゃんにはもう何があっても会えないの?そんなのイヤだ!」と泣きながら訴える息子を、母ちゃんは抱きしめて一緒に泣くことしかできませんでした。
つづく


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