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『ザリガニの鳴くところ』を読んで

 ディーリア・オーウェンズ著『ザリガニの鳴くところ』を読みました。
ようやくザリガニ仲間の一員になれた、と言ったほうがしっくりくるかも知れません。2021年本屋大賞の翻訳小説部門第1位にもなった話題作です。手練れの本読みの皆さんがきっと心を震わせたであろう箇所、その部分の光をひとつずつ拾うかのように、大切に読み進めました。 

 舞台はアメリカの架空の地。湿地という特異な場所に主人公のカイアは一人で暮らします。かつては家族がいましたが、6歳のときに母親が家を離れ、次に兄姉が離れ、そして憎むべき父までもが離れていきました。暗い運命の穴に落とされたカイアでしたがそれでも、周囲から忌み嫌われるこの湿地で生きていきます。食べ物を調達する術を覚え、善意にあふれる友人の細い支えを頼りにしながら、少しずつボートで沼を漕ぎ出し、世界を広げていくのでした。

 読者が目撃するのはこの彼女の成長譚です。同時に周囲で起きる事件が彼女に絡み、話を前へと進めていきます。少しネタバレするとこの小説には謎解きのような一面もあり、その手ざわりが強く残るかもしれません。しかし単純にエンターテイメント小説といえないのが魅力で、動物学者でもある作者は、湿地の植物や生きものをこと細かに鮮やかに描くことで私たちをひきつけます。私はページを捲りながら自分の肌のある部分にずっと冷たい水がひたひたと触れているような感じを受け、水中の藻が手足にまとわりついているような場面を幾度も想像しました。

 少女が愛を求めていくさまは人間ドラマの側面ももちます。しかしラストまで読んでみて、たべものを確保したり、あらゆる魔の手から逃げたりする彼女は、湿地に棲むほかのいきものと似ていたと気付きました。頭上を舞うカモメに餌をやりつつ、いつの間にか彼女も湿地に棲む人間から、湿地に棲むいきものとして変化していった。それが全体のストーリーを覆っているように私には思えました。映画も公開されるようです。映画館に足を運ぶ前にもう一度読み返したいです。


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