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"それでも人生にYESと言う"ことができるのだろうか?最後の瞬間に。

今日で、次女がこの世からいなくなってから2年が経つ。時間は余りにも早く過ぎる。この調子ではあっという間にすべてが風化してしまうだろう。
だから、彼女の誕生日から投稿を始めて、命日で書き終わるという計画が全うできたことは小さな幸せだ。これからも書きたいことが出てきたら書くと思うが、とにかく私の中では一区切りとなる。

亡くなったあとしばらくは処理しなければならない事が多く、それどころではなかったが、数ヶ月経った頃、何かを残したいと思うようになった。
もともとアメブロをやっていたのだけど、その続きで記事を書くのは何か違う気がしたので、以前から気になっていたnoteを選んだ。

noteは写真とか絵文字などの装飾を必要としないし、長々と文章を書いてもいい。そこがnoteでよかったところかな。表現する場があるのは有り難い。

自分の備忘録的に書いているので、スキの数もフォロワー数も気にしないでおこうと思いながらも数時間おきにダッシュボードを見に行った。
そしてあまりに数が増えないので落胆した。

無理もない。
フォロワーを増やす対策もしてないし、たまに気に入った記事にスキをするくらいで、自分から積極的に働きかけることもしなかった。

話題も特異なものなので、共感を持たれるということも少ないだろう。
子供に先だたれるということ自体あまりないことだから。

もともとは、嫁いだ娘を亡くした母親の情報があまりに少なかったので、何か書いて残したかったのだが、そんな経験をする人はあまりないし、ワクワクする話でもない。

だけど、いつか同じような境遇で、悲しみに胸を裂かれそうな人の小さな灯りになれたらいいなと思う。

今、この2年間を振り返ってみる…

【やめた事、出来なくなった事】
①旧知の人を断ち切る。
  → 以前からの知り合い、特に華やかなグループの集まりには行きたくない。

②カラオケを封印する。
  → 娘が倒れたという電話を受けた時にちょうどカラオケ店にいたから。

③サザンを捨てる。
  → 娘は2年続けてサザン好きの私のためにライブのチケットを取ってくれた。 思い出が辛すぎる。

④土曜日の午前中はスーパーAに買い物には行けない。
     → 娘が倒れた日は土曜日で、夜に飲み会があったので、午前中に近くのスーパーAに家族の夕飯の買い物に行った。滅多にその時間には行かないのに。

⑤娘が住んでた方面には行けない。
     → 家事手伝いと子守によく通ったので、思い出してしまう。

⑥神様を信じない。
     → ていうか、神様に助けてもらおうと思わなくなった。

⑦「○○さんに悪いから」とかいう発想をやめた。
     → 自分の本当の気持ちに素直になっているかを確かめるようになった。

【始めた事、得たもの】
①FacebookとInstagramのアカウントを本名で作った。
  → やっと本当の自分を取り戻した気がした。

②仏教の勉強を始めた。
       → 今期、大学の通信教育で般若心経を勉強している。

③通訳ガイドの勉強を始めた。
      → 娘が亡くなって、4か月後にガイド試験に通った。そしてこちらの関係の繋がりが広がった。

⑤死との距離が縮まった。
     → 死が身近になり、あまり怖くなくなった。娘の所に行けるのだから。
と言うことは、怖いものがほとんど無くなった。

⑤noteを始めた。
      → 10歳の時、私は将来なりたいものは「物書き」と書いた。少しその気分を味わえた。

そして今私は、どんな気持ちでいるのか?

明らかに次のステージへ行った感はある。
これまでの人生に強制終了を余儀なくされ、次元上昇したみたいな気持ちかな。下降ではない。

勿論、今でも天を恨む気持ちはある。
娘が亡くなるなんて何かの間違いだと思う。しかも何故それが私に?
時折り、私が打たれ強いから、神様は私にばかり試練を与えるのかもしれないと思うことがある。
どんな時でもプラス思考で前向きに、そして、人の役に立つようにと考えて生きてきたつもりだが、この有様だ。

だが、不思議なことに、
悲しいけど、穏やかな気持ちでもある。
すべてを諦めた後の自由と安堵感。
悲しみの上に立脚するガラスの城は、美しい…



最近、一冊の本と出会った。


人間はあらゆるこにとにもかかわらず- 困窮と死にもかかわらず、身体的心理的な病気の苦悩にもかかわらず、また強制収容所の運命の下にあったとしても - 人生にイエスと言うことができるのです。

この本はこう結ばれている。

ナチスの強制収容所で、私なんかと比べ物にならない悲惨な経験をしながらも、与えられた「人生にイエスと言う」ことができるだなんて。
スゴイことだ。

悲しみは人の奥行きを深くする。
心の中に大きな悲しみの湖を抱えている人は、その深さの分だけ人生を深く生きることができる。

そう考えるチャンスを与えてくれたのは、次女だ。もしかしたら、彼女はそれをするために生まれて来たのかも知れない。そして、もう去っていった。

大好物のいなり寿司を作って、感謝の気持ちを伝えて命日を過ごそう。
ありがとう、Moe!


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