なぜあの言葉は使ってはいけないのか
はじめまして。ただの大学生です。
このサムネイル画像可愛い!!
さて。最近、生理で暗い悩み事に悶々としちゃうアノ現象にかかっております。
しかも梅雨だし。頭痛いですね。
母に泣きついたら、「ネットを遮断してみたら」と言われました。確かにそうだと思いましたが、note開いていまいました。
やれやれ。
人によってはこれを依存だ、病気だと言うのかもしれません。
私が納得できる表現に変えると、言葉にしてなにかを残すのが好き、という病にかかっているのでしょう。
今日は、私が怖がるあの言葉について考えてみます。怖いので直接書きません。
私は小学生の頃から、あの言葉を聞いたり使ったりしてきました。
その度に、先生が言ったものです。
「悲しくなるから使わないで」
最近、「悲しくなる」のがよくわかる気がします。
あの言葉を使う人は、幼稚な人、理性を失っている人だけではありません。
だから本当に怖い。
あの言葉を使っているその瞬間、その人は、ゲームをプレイするときの感覚になっているのです。
私もそうなのだと思います。
綺麗なグラフィックのキャラクターが、どれだけ鮮血を流していても、それはどこまでも光の画面のお話。
あの言葉を使ったとき、あらゆる人が、あらゆる人を、光の画面の向こう側に据える。
ゲームをしているときは、目が疲れるし、ゲーム機の稼働音もするし、「ゲームしてるな」と思える。
しかし、あの言葉で始まるゲームはプレイしてる感もまるでない。
プレイヤーはプレイヤーであるとも自覚できない。
自覚して尚プレイし続ける本当に怖い人もいて、そういう人が大事な仕事をしていたりします。
だから、言えちゃうのです。何度でも。
小学校の先生の言葉が10年以上経って実感を伴うのはなんだかおっそいな〜と思います。
でも、わかっただけ良かった。
生理のネガティブ本当に辛いけど、こうして毎回少し自分を更新する手がかりになっている気がします。
私はあの言葉を投げられる側の人間なので、どれだけネガティブになっても、ケロッとしちゃうんですけどね。
でもこれからは、あの言葉は、本当に気心知れた人と会っているときしか使わないことにします。家族とか。
思うのは自由なので、みんな(私も)頭の中では使ってると思いますが、あの言葉を外向きに(矢印をもって)使った瞬間にその人(現実の人)を嫌いになることを自分に許そうと思います。
悲しいことなんて何もしなくてもどんどん出てくるのに、わざわざ増やす必要ないと、いまは本心から思っています。
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