アルファベットも全部言えなかった私が英語で仕事ができるようになるまで ⑤2回目の留学から1人旅へ

大学2年くらいからまた海外に行きたいと思うようになる。私は高校3年の時に1年の留学経験があったが、1年という期間は結構長く、留学生活は大変だし日本の便利さを痛感して、しばらくは日本で全然よかった。また、大学の英語の授業がとても充実していて、学ぶことや身につくことが多く、もはや留学先と同じような環境だったのだが、
一通りのことができるようになった実感があり、実際に本場で腕試しをしてみたくなったのだ。

このころSNSでアメリカ時代にお世話になったホストファミリーがロンドンに住んでいる家族を訪ねているのを知った。私は昔からヨーロッパに興味があり、中でもイギリスには絶対に行ってみたいと思っていた。英語圏だし、ホストファミリーの家族を訪ねて
イギリスに行けたらいいなと考え始めたのである。

いつ行くのか

大学には留学プログラムも複数あり、私はすぐにでも出発したい気分ではあったが、大学2年、3年はサークルでもアルバイトでも1番メインでやっている盛んな時期で、大学生ならではのイベントたちを逃したくなかった。検討した結果、就活を早めに終えて、
4年の夏に行くことに決めた。

留学手段

大学のプログラムは内容が充実していたのだが、参加はしなかった。時期が合わなかったのもあるが、メインの理由はまず、金額が高かったからである。高校留学では親にお金を出してもらっていたため、次海外に行くときは自分で稼いだお金で行きたいと思った。そのため、2年以上かけて、バイトを頑張って貯金することになったのだが、それでも大学生のバイトで貯金できる額には限界があり、他の留学方法を探すことになった。

また、このプログラムは、他の大学生たちと一緒にガイドされて連れて行ってもらうようなものだった。もちろん安全で良いのだが、せっかく今までたくさん練習して英語を話せるようになったのだから、海外旅行の観光ツアーのようになりたくなく、自分の力で行ってみたいと思った。日本人の学生たちとワイワイ楽しむのではなく、全部英語の環境に1人で飛び込んでみたかったのだ。海外で異世界の雰囲気に浸り、日常から離れ、英語漬けの時間を過ごしたかった。

ワーキングホリデイ

留学手段を調べていると「ワーキングホリデイ」という制度があることを知った。特定のビザを取得すると1年間、現地で働くことができ、働きながら現地でのイベントを楽しんだり、旅行をしたりして暮らすことができるものである。私は英語の授業や勉強を散々してきて、もはや授業を取って勉強するのではなくても良いかもしれないと感じていた。日本にいて、バイト先で英語で仕事をしていたりしたから、もう英語で働くことができるような気がしていた。現地でお金が稼げるのなら、出発前に用意しておく貯金の負担も軽減すると考えた。この時はワーキングホリデイこそが最適の手段であると思ってリサーチを続けた。

どうしてもイギリスに行きたい

しかし結果的にワーキングホリデイをすることにはならなかった。なぜなら、私はどうしてもイギリスに行きたかったからである。イギリスのワーホリ制度は他の国のものと少し異なっていたのだ。アメリカ、カナダ、オーストラリアなどであれば、基本的に
申請や手続きをすればスムーズに適用される。一方でイギリスの場合は人数制限があり、人気なため毎年抽選で選ばれた人しか行くことができないらしいのだ。それも当選の確立は約100分の1と聞いた。申請しても必ず行ける保証がなかったのだ。

加えて、もし当選した場合、イギリスの制度は1年ではなく2年間まで滞在ができるのだが、私が滞在を予定していたのは大学の夏休みで長くても2カ月ほどである。ワーホリビザは30歳までの間で一生に一度だけ使うことができるものなので、将来的にまたイギリスに滞在したくなった時のことを考えると、たった数ヶ月のために使ってしまうのはもったいないと思ったのだ。また、滞在期間を2カ月と設定したが、これはあくまでも就活がスムーズに終わった前提で設定している。大金がかかることであり、自分で費用を負担するということもあり、様々な面でリスクが考えられた。

語学学校への留学、そして1人旅

結果的に私はワーホリについて説明をしてくれた語学学校の短期留学に参加し、そこからヨーロッパを巡ることにした。私はどうしてもイギリスに行きたかった。ハリーポッターやシャーロックホームズをはじめ、いろんな本でイギリスの物語にふれて、
いつか絶対に自分の足で訪れてみたかったのだ。そしてせっかくイギリスに行くのなら、他のヨーロッパの国々も巡りたいと思った。本でもたくさん読んだし、古い歴史のある街並みを歩き、世界遺産を訪れて、その雰囲気を味わい、異国の文化を体験したいと思っていた。ヨーロッパは大陸なため国境を越える移動も飛行機や、電車などで数時間あれば簡単に行けるのである。

暇さえあればGoogle mapを開いて、行きたい場所の所在地と各国間の位置関係や距離感、移動手段などを調べた。予算にも日数にも限りがあるし、1人にで海外に行くのは初めてであり、行く場所を絞り込まなけばいけないが、行きたい場所、見たいものがありすぎて、なかなか大変だった。父の助言があって、ヨーロッパは電車で巡ることに決めた。ヨーロッパ鉄道はヨーロッパの各国を路線でつないでおり、ユーレイルパスという乗り放題チケットがあるとのことだった。

宿泊のステイ先

また宿泊はホテルではなく、ユースホステルよいう安いゲストハウスのような場所に泊まることにした。ユースホステルはちゃんとしたユースホステル協会といった組織が基準を決めて運営、管理しているので、安くても比較的綺麗で安全なのだそうだ。1泊数千円の宿泊部屋は、朝ごはん付きで一部屋にたくさん二段ベッドが並んでおり、他の宿泊客と相部屋となる。他の宿泊客の学生や旅人たちとの交流も楽しそうだった。

具体的なプランを決めていく

最終的に3週間のイギリスへの語学留学と4週間の一人旅という計画に落とし込めた。予算内で足りるギリギリ最長の滞在期間にした。イギリスから始まり、フランス、スペインを南下して移動することにした。1人旅の費用を予測して出してみた。旅費や滞在費、食費、観光費、保険などだ。各国が近いとはいえ、移動には時間がかかるし、予定を詰め込みすぎてはゆっくり見て回れなくなると思い、どうしても行きたいところだけに厳選して計画を立てた。

就活が終わるであろう時期を予測して、出発日や滞在日数などを決め、2年くらいバイトをして貯めた貯金で語学学校に申し込んだ。私の人生で一番高い買い物だった。さらに具体的にヨーロッパ鉄道の路線表、訪れたい場所、宿泊場所、観光の費用、治安なども調べた。航空券は旅行代理店を頼ればよかったのだが、観光ツアーのイメージが勝手に強く、かつ手数料などもセーブしたかったし、プランなどではなく自由にカスタマイズしたかったのもあって、航空券の手配も宿泊の予約もオンラインで現地のサイトにアクセスして全て自分で調べて行った。英語ができると現地のサイトでそのまま手続きができるので便利だった。

親の了承を得る

結局就活が長引き、ハラハラしながら、内定が出るとすぐ準備に取りかかった。
私の母はとても心配症で、計画時から口出しされたくなかったので、実はこの留学や1人旅のことを一切話していなかった。内定が出てから初めて仕方なく伝えると大変なことになった。旅程表を作り、計画の詳細を説明しなくてはいけなくなり、訪れる場所の治安についても徹底的に調べ上げられた。安全面を重視しての、ルート変更や宿泊場所の変更も多々させられた。準備期間に議論はどんどんヒートアップしていき、そうでもなければ出発を許してもらえなかったのだ。内定が出てから約1か月後に出発することができた。

ルート

ルートは、まず日本から韓国の航空会社でソウルでトランジットをしてロンドンまで飛び、そこからケンブリッジに入り、3週間ステイする。その後ロンドンに出て、そこから電車でフランスのパリに出る。パリの治安と経済面を考慮してルーアンという都市で宿泊することにし、そして、南下してボルドー、カルカソンヌを訪れる。そこからスペインのバルセロナに入り、マドリッド、トレド、セビリア、グラナダ、とスペインをどんどん南下して、最後マラガという最南端の都市に出てから、日本に戻るというルートになった。

留学生活

3週間の語学留学はホームステイのプランにした。ホストファミリーは、イタリアからイギリスに移住した家族であり、ルームメイトはスペイン人だったので、すでにステイ先でグローバルな交流が楽しめた。一緒にディナーをする際、大きなチーズの塊に、生ハムにワインを勧められた。それまであまりワインは飲めなかったのだが、このときにワインのおいしさに目覚めたのだった。

語学学校には、各国から留学生たちが来ており、交流も楽しかった。高校で留学した時は英語がまだ全然話せず、シャイになっていて、せっかくのチャンスをものにできなかった。だから今回、いろんな人と話すというリベンジができたのだった。授業以外の時間は、しょっちゅう街へ出てきては、その景色や建物、お店などをひたすら見て回った。歴史的な街並みをただ歩いてみて回るのが楽しかった。街中で楽器を演奏している人たちがいろんなところにいて、とても特別な雰囲気を作り上げていた。

ロンドンに住んでいるホストファミリーの家族を訪れて、再会することもできた。バーベキューに参加させてもらい、お泊りもさせてもらい、とても素敵な休日を過ごした。住んでいる人がお勧めする、ロンドンの行くべきスポットなども教えてもらうことができた。

1人旅を始める

留学期間を終えると、ステイ先を出てロンドンのユースホステルに数泊して、そこから電車で巡る一人旅が始まった。ヨーロッパ鉄道の特急は新幹線のような感じで、中は綺麗に整っていた。数時間でも長距離の移動が可能だった。電車で移動する時間が多々あったが、電車の窓から景色を眺め、自分のことを知っている人が誰一人いない環境で
一人で冒険することに対して、自由と開放感があり、ただただ幸せだった。

フランスやスペインは英語が通じない人も多かったが、勢いでジェスチャーを交えて英語で話すと、何となく伝わって何とかなっていた。困ったときもいつも周りにいる親切な現地の人たちに助けてもらえた。大きなスーツケースを転がしながら一人で冒険する
アジア人の女子大生に対して、いろんな人が応援して協力してくれているようだった。

私は、多くの博物館や美術館、有名な場所、世界遺産を訪れた。旅を通して各国の文化にふれて、雰囲気を存分に味わい、そこでしか見れない景色をたくさん見ることができた。日本に帰ってきてからもしばらくは余韻に浸った。
自分の人生の中でも、特に思い出に残る特別な時間だった。

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