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思考回路の定期点検【他責思考と波の乗り方】


社会人になって5つ目の仕事が始まる。

今の職場も残すところあと2日。


この頃の決意はどうした?と、周りからみたらガラリと考えが変わったように思われるかもしれない。一年に満たない、あっという間だった。


日々迷ったり判断したり軌道修正しながらも、私の思考は至って地続き。
それを自分でも忘れてしまわない為にいつもの思考回路の定期点検をしたら、今回の回路の不具合はなかなかに根深かった。(目次がもう根深い、軽い気持ちで始めた今回の紐解き作業は恐ろしく時間がかかった)

"今"漕げる船で"今"乗れる波を探して漕ぎ出してみた


小さいなりに居心地のいい船に乗っている


パート勤めも半年以上経ち、職場での立ち位置というか、居心地みたいなものそれなりに良くて、
子供が8ヶ月から通い始めた小規模保育園も、信頼できる先生方に見守って貰い、何より本人がとても嬉しそうに通っている。

出社してしまえば私は安心して仕事だけに集中し、日々ほどほどに頭を使い、退勤後や休日に仕事のことを思考に持ち込むこともない。
サポート業務ながら、将来を見据えて働けるようにと繁忙でない時には業務の一通りの流れにも積極的に触れさせてくれる、有難い環境だった。
この短期間の間に極度の寝不足と育児仕事の両立の不安から上司の前でボロボロ泣いてぎょっとさせたこともあった……(本当にお世話になりました。)

扶養内なので収入は限られるけれど、週3日行けばそれは十分できっと割も悪くない。

往復2時間の通勤距離を除けば(結局はここがかなり大きなネックになったけれども)今は小さいなりに居心地のいい船に乗っている。

順風満帆とまではいかずとも、船は流れにまかせて日々前に進んでいる。


波に身を委ねるということ


そんな中、私自身日々を心穏やかに過ごせているかと言われればそうではなくて、なんだか常に焦っているし、時々どうしようもない不安にのまれることが日常的にある。


長い人生誰でもよくあることだ、と今回は見過ごしてはおけない。


身の回りのあらゆることを悪意と捻じ曲げて捉えることが増えたから。

大切な家族のことさえも。


今すぐなんとかしないと、私このまま知らず知らずのうちにどんどん腐っていく。

穏やかそうな生活のどこにそのきらいがあったんだろうと考えて、自論がぐるぐる回り出す。

今の私、

居心地のいい船に乗っているけれども、大小繰り返す波に揺られるがままで、ずっと船酔いしている

今にも嵐が吹き荒れそうな黒い雲や、海面に大きな渦が視界の遠く先に見えていて、気が気でない私はそこから目が離せずにいる

周りの船の乗り心地や行き先が気になって、どんどん置いてけぼりになる感覚

働き方をはじめ外の世界や人との関わり方のうち、自分で選択したり、築いてきたものが自分の乗っている船で、

自分の意思に関係なく変わり続ける時間や世の中そのものが海。波も来るし、天気も変わるし、船は沢山浮かんでいる

というイメージ。

多分だけど、波に委ねた船がゆっくり進んでいるならきっとこのままでも何も問題なくて、

この状況もできるだけ前向きに捉えれば

船酔いなら時間が経って慣れてしまえば治るかもしれない

万が一嵐にのまれても、その時は死に物狂いで這い出すことも出来るだけの力は残っているので、今は気にする労力を他に向けれる方が良い

別に周りの船に抜かれたって、その船の乗り心地も行き先も知らないし追いかけたところで自分の行きたい場所に着くわけでもない

いまの居心地のいい船は今すぐ転覆して放り出されることもないし、流されつつも目指したい目的地はいくつか心に決めていて、そこに流れ着くかもしれない。

波に身を委ねて、あたたかい船の中で普通に穏やかに暮らせることの有り難みを大切にすればいい。

これを頭の中では分かっている。



不快な警告ベルを鳴らしているのは


なのに今の私はこの状況を、全て環境のせいにして、家族に向けて必死で警告ベルを鳴らし続けている。
それも、家族のためだと思って。



今来ている波はよくない!
こんなんじゃ漕げない!
あの嵐にのまれたらどうする!
あの船はいい波に乗れているんだ!
何のんびりしている!
私はこんなに必死なのに!


現実のささいなきっかけは、認可保育園に落ちたこと。

ローンでお金が要るのに
今の保育園が値上げするのに
子育てがしたいのに

育休が取れなかったせいで
働かないといけないせいで
保育園に落ちたせいで
思うように働けないせいで
扶養の壁のせいで
家が狭いせいで
物価上昇のせいで
こんな世の中のせいで

夫が忙しいから
子供のためだから
周りとは環境が違うから


私がやらないと、私が私が私が

1人で背負い込んでるような顔をして、深い深い他責思考に陥っている。

結局は根深い悩みの種はいつだって人と時間とお金。人間臭い、人間だし。

環境のせいな部分も少なからずあるけれど、自分でもがいて起こした波でもあって、それで自分がここまで船酔いして腐っていては、折角の居心地のいい船も勿体無い。

何なら私が周りの居心地を悪くしている。

流れに身を任せてしなやかに生きている顔を装っていたけれど、これは漂流だ。

今すぐ何とかしたい
いい流れに変えないと


荒波をかっこよく乗りこなすまでは目指さずとも、自分で乗りこなせるくらいの波を目指して、船を乗り換えてでも漕ぎ出そうと考えた。

困難を避けるにしても立ち向かうにしても、自分でコントロールしていきたい。


ずっと手元にある小さいパドルで漕いでみる

さて、小さな船とはいえ漕ぐにはパドルが要る。

自分の荷物の奥底から小さな埃まみれのパドルを引っ張り出して漕げそうな船はないかと探してみる。

「自分が」「今」出来ることを正直に出して並べて、それだけを持ち合わせて自分がやれる仕事を探してみた。
パートもまだ始めて一年弱、今一番身軽に選べるのは仕事だから。


つぎはぎだらけの経歴

育児中心で時間の限られた働き方

使いこなせない資格、学歴

なんでもそこそこ出来て、そこそこでしか出来ない器用貧乏(あまりこの言葉は好きではないけれど)


今まで、正直これで船を操作するなんて出来ないと心の底で思っていて、持っているスキルを夢で出来るだけ膨らませて武器にしていた。

いつか私は力をつけてこうなりたいんです
いつか流れが変わればやれるはず


そうして乗り込んだ船はそこそこ快適で、どういう流れが来れば目的地に着くかもなんとなく見えてはいるけれど、今使える手持ちの小さなパドルで漕ぐのは困難だった。
「環境が変われば」「いつか」できることだから。


子育てが落ち着いたら漕ぎ出せる

その波はいつだ???

これも保育園に落ちて絶望しているところに小1の壁やら受験やら大学生の仕送りやら色んな話が聞こえてきて、子育て落ち着かんやないかい!!!とちょっと笑いながら諦めた。
一生かもしれないし、少なくともあと十数年は落ち着かない。そもそも子供は2人欲しいなんて言ってるんだから。
そもそも子供3人が結婚した今、私の両親は落ち着いてるのだろうか。



やはり今は自分が変わるしかない。
これからはここに住まいを構えて生きてくんだ、もう環境は勝手にそう大きくには変わらない。

乗り心地のいい船かどうかはわからないけれど、いい波に乗るぞ、と思ってちいさいパドル片手に飛び込んでみたら

ほんとうに少しだけ、波に乗れた感覚があった。


少し漕げば乗れる波を目指して、まずは脱他責思考


来週から、新しい職場で働く。


小さい子供を連れて、それでいてこれまでたった2年しか正社員で働いたこともない自分がしっかり働ける場所なんて、あったとしても妥協だろうな…と、諦めのような気持ちで転職活動を始めてみたけれど、

そんなことある?というくらいに育児に理解がある企業が近くにあった。まさか。

通勤時間は今の半分以下になって、時短の制限もないので今の小規模保育園のままでもすぐに働ける。
今持っているほぼペーパー資格にも手当が出て、今後も資格に必要な実務経験を積める。
何より、少し別の立場からにはなるけれど建築に関わっていける。

エージェントを通しての転職活動だったので、他も10件近くエントリーをしたがそこ以外は書類で全滅。そりゃそうだ、書類には「時短希望、残業できません」と書いてある。
むしろこの会社は誰でもいいのでは?なんて思った。

面接時、自分の経歴を正直に出して話しているうちに、知らず知らずつい「私時短でしか働けないので…」って気持ちが出てしまっていたようで

「時短だろうがなんだろうが成果を出せば評価されるべきなので、ここでは誰も自分は時短だから、育児中だから、なんて考えていませんよ。
全員が家族や取引先の為に決められた時間内で一生懸命働いて、ちゃんとそれに見合うお金を貰っています。」と。

えっ、働くうえでお金や時間が欲しいって言っていいんだ?欲深い人だなーって思われると思ってた。

当たり前に考えたら、そりゃ皆そうだ。
なぜ、誰に対していい子ぶって、時間がお金がって1人で抱え込んでたんだ。

私はいい方向に進んでいても「騙されてない?本当に大丈夫だろうか…」と疑ってしまう性格だし、
「嫌な奴だと思われないかな?」を元に言葉も行動も選ぶので、
周りの人をちゃんと信用しないといい波に乗れているってことにも気付けないんだろうな。


まずは自分の他責思考の深い根を絶って、もっと自分も人も波も、信用していこう。



少しずついい流れを作ろう。


流れた先に辿り着きたい場所

本音の本音を言うと、将来的に私は個人で仕事をしたいという思いがある。

時間とお金をコントロールできるようになりたい。
そこまで辿り着くのが険しいことは重々承知なのだけど、それと同じくらいの大事な理由があった。

自分で何かを作り出したり、アイデアを出したり表現することに対しては、純粋に大事なお時間やお金をつぎ込むことに抵抗がなくて、いい循環を自分で回そうと、周りに働きかけようと自然に動けている。(Adobe契約したりミシンや楽器買ったりね…最近はそこそこいいカメラを手に入れてへそくりの底が見えた)

むしろ時間もお金も貯金を切り崩してまで使ってるはずなのに心にはゆとりができて、

これをこうしたら誰かが面白がってくれるかなとか、
これがあればもっと喜んで貰えるかなとか、
あのイベントに関わってみたいなとか、
あの人にはこういうのを作れるようになりたいなとか、

周りに目を向けて声を上げられるようになる。

「自分を満たして人を満たす」っていうのがいつまでも下手くそで、勝手に1人で私が私がって抱えて、勝手にむしろ迷惑じゃないかと疑って、勝手にやっぱりやれば(やらなければ)よかったと自爆を繰り返す私が
ものづくりをしている時は自然とその思考が出来る。

多趣味な器用貧乏って自分で決めつけずに、自分の手で仕事をしてみたい。


いつかって言わず、いわゆる小1の壁が来るまで5年先を目指そう。


勿論、辞める前提ではなく会社員としてこれから誠実に働く。そのうちここで最後まで働き抜きたいと思えばそうするし、ただ何をするにしても一番に考えるのは家族の生活だ。
それを原動力に人のために働く。

まずは「自分なんて」って思わなくてもいい環境に身を置いて、仕事でも家庭でも周りの人も自分も、自分からちゃんと信頼して動けるようになること。


深い深い他責思考を絶つこと。

5年後、もっといい波に乗れているように。
流れに任せつつ、少し漕げる今なら出来るはず。

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