ユリシーズを読む|003.案ずるより読むが易し|2021.03.12

というわけで、『ユリシーズ』を読もうと思い立った私は、『オデュッセイア』を読み始めた。(詳しくは昨夜参照、、)
 でも、これまで先送りしていたことが惜しまれるくらい、読み易い。
 うーん。複雑な気持ち、、だけど、出鼻を挫かれるよりはよいか。

 岩波文庫 赤102-4
 ホメロス
 オデュッセイア(上)
 松平千秋訳
 2012年4月24日 第23刷

ホメロスといえば、ひとつ思い出した本がある。ジュリアン・ジェインズ『神々の沈黙ー意識の誕生と文明の興亡』という本。
 読んだのはこれもかなり前なので、内容の正確さには自信がない。けども、二分心(バイキャメラル・マインド)という独自の概念を持ち出して、今日の「意識」が成立するより以前の、古代の人の意識状態を考えていてとても興味深い。
 二分心は、古代人の心を説明するために仮定された心のあり方だ。ジェインズは、古代人の心は、現代人のようなひとつに統一された心ではなく、二つにわかれた心だったと考えている。
 分裂していた心が、言語能力をえて、今日のような意識の状態になったと考える。

二分心というのが適切な仮説なのかどうかわからない。ちょっと怪しいのでは、とも思う。そもそも現代の意識すら統一はされていない。統一されているような錯覚を抱いているだけだ。そしてそれは言語がもたらしたというよりは、やはり無意識が立ち上げた心許ないものだと思う。
 けども、今日の人類のもつ意識の性質を形作っているのは「言語」であることは間違いないし、そうであるならば、その意識がうまれたのは割と最近の出来事で、それ以前の、つまり言語以前の意識というのを考えることができるというのもわかる。
 子育てをしていると、言語以前の意識と、言語以後の意識というのもなんとなく体感する。物心つくとは言語のうえの意識が芽生えるということだろう。
 ジェインズは、この二分心を考えるのに、ホメロスの『イリアス』を使う。たしかに読んでみると、『イリアス』の著者の意識状態は今日の私たちの意識状態とは異なると感じる。そして、今回、『オデュッセイア』を読み始めたことで、そこには今日の私たちの意識状態につながるような意識を感じることができた。
 その違いが、二分心によるものなのかどうか。『神々の沈黙』や『イリアス』を読んでから間があきすぎたので今はなんともモヤモヤとしかできないが、こうして『オデュッセイア』を読んでみてすぐに、『イリアス』とは性質の違う意識を感じたことは確かだ。
 この頃、意識に何かが起きたのかどうか。

#読書 #読書記録 #読書ノート #ユリシーズ #ユリシーズを読む #ジョイス #ジェイムズ・ジョイス #ホメロス #ギリシア神話

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?