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お前、仕事好きだろ?(4)

(3)のつづき

30代に差し掛かろうとする頃に三社目の会社に転職した。いわゆる縁故採用、リファラル採用である。

転職を決める前に会食をした。その時は正直転職する気もなかったので、久しぶりに旧知の中である人と美味しいごはんを食べられるチャンスと捉え、普通の飲み会のようにどうでもいい話や時折真面目な話を織り交ぜながら楽しい時を過ごした。

真面目な話については、どんな業務内容になりそうなのか、どんなことが求められるのか、また改めて私がどんな人間であるのか。その中で私は自分の仕事感について話すことになった。

いやー働きたくないんです。今の会社(二社目)も待遇改善求めて選びましたし」
「ちょっと傾きかけてはいますけど、まだしばらくは(忙しくなく給与も低くない待遇のまま)居られるんじゃないかと思ってるので、現時点ではあまり転職は考えてないんですよね」
といった話をした。つまり、私が仕事に求めているのは楽して稼げる高待遇であり、私は本質的に働きたくない人間である、といった趣旨の話をしたということだ。

なんやかんやあって三社目に転職し、彼らと一緒に仕事をすることになったわけだが、私はその真面目な性格から職務を全うすることになる。当時私自身は無自覚であったが、周りから見ると誰よりも仕事に真摯に向き合っているように映っていたようだ。

そんな中、私を誘ってくれた同僚と仕事中におしゃべりしながら、不意に言われたのだ。

「お前、仕事好きだろ?」

曰く、「働きたくない」と言っていたから、つまらないながらもやらねばならない仕事を無理してやるスタンス。仕事を選り好みしながら効率的に働くやつなのかなと思っていた、とのことだった。
でも目の前にいるのは、誰よりも真摯に仕事に取り組み、投げ出さず全体最適のための価値提供まで考え抜こうとする、想像とは異なるやつであると。

おお、私は仕事が好きだったのか、、とても腑に落ちた。

生真面目な性格も災いし、私にとって仕事はものすごくストレスがかかるものである。だから私はこのストレスから抜け出したいという意識で「働きたくない」という表現を多用していた。

しかし実際には、働くという行為自体を楽しんでもいたのだ。自分の能力を発揮できる、少しストレッチして自分の成長も実感できる、問題解決という名のパズルで遊べる、等。仕事には楽しい側面もたくさんあったが、私は無自覚にそれらを「言語化しない」ことによって蓋をしていた。逆に「働きたくない」と言語化をすることで自分で仕事をつらいものだと捉えてしまっていたのだ。

実は今でも、仕事はつらくストレスのかかるものだという意識のほうが強い。当初から言語化されるくらいには強烈に感じているのだろう。

しかし私は一方で、仕事そのものを楽しんでもいる。仕事はつらくもあるが楽しくもあり、お前はその楽しさに気づけてもいるぞ、だから楽しんでやっていこうぜ。仕事がつらくなったときにはかつての同僚の言葉を思い出し、自らを鼓舞したりしている。

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