つくりものの世界の約束

ゲームソフトで初めて本格的にのめりこんだのは、ポケモン銀だったと思う。世界を冒険したり、ポケモンを捕まえたり、育てたり、戦わせたり、周りと交換したりするのを楽しんだ思い出がある。これらは言うまでもなくポケモンというゲームの醍醐味だけれども、この中には含まれないが、印象に残っている出来事が一つある。

それはライバルのポケモンにモンスターボールを投げたことだ。どういうことかと言えば、ポケモンというゲームは、野生のポケモンとの戦闘時にボールを投げることでポケモンをゲットし、集めていくのだが、他のトレーナーが繰り出してくるポケモン、つまりは人が所持しているポケモンをそうやって捕まえようとしたら泥棒である。「ひとのポケモン とったら どろぼう!」どのトレーナーも(もちろんすべてを試したわけではないが)皆こう罵る。

そりゃ怒られるだろうという話だけれども、しかしポケモン金銀のストーリーを思い出せば、ライバルはウツギ博士の研究所に忍び込み、盗み出したポケモンを相棒として冒険を始めたのである。したがって自分が同じことをされても怒る資格はなさそうなものだが、にもかかわらず「ひとのポケモン とったら どろぼう!」と、他のトレーナーとまったく同じセリフを言う。

ライバルのポケモンにボールを投げてみようと思ったのは、子供の自分のいたずら心であり、好奇心だったのだろうけれども、実験の結果、ライバルは自分の行いを棚に上げて文句を言ってくるという事実を発見して、何となくいい気持になった記憶がある。

シナリオとの整合性を考えれば、他のトレーナーと違う特別なセリフがあって然るべきだし、制作側の手抜かりだろう。恐らく制作側は気づかなかったか、気づいても直す余裕がなかったのだろうとは、子供でもなんとなく察することができた。けれどもこのときの喜びは、他人の落ち度をあげつらえて楽しいとか、そんな暗い喜びではなかった。小学校低学年でそんな擦れた性格をしているとは、さすがに考えにくい。

思うに、ポケモンというゲームの世界が、不完全な世界、つくりものの世界だということを改めて知れたのが、心地よかったのだと思う。ポケモンはゲームのジャンルとしてはロールプレイングに分類される。つまりはなりきり、ごっこ遊びだ。

ごっこ遊びは現実を再現しない。ウルトラマンごっこをしてもスペシウム光線を実際に出せるわけではないし、おままごとで実際に料理を作るわけではない。子供だってそういうことは承知の上で、つくりものの世界に遊ぶ。現実の世界にはない魅力があるから。

泥棒が何ら自らを顧みることなく、相手を泥棒呼ばわりするのは、おかしなことであり、ポケモンというゲームの世界観における、ほころびの一つである。けれどもごっこ遊びにおいて、少々のほころびはつきもので、それよりも大事なのは、ゲームを作り、提供する側と、遊ぶ側の両者が、自分はごっこ遊びの世界にいるのだという約束に従うことである。ゲームの最も根本的な要素は、ストーリーでも、キャラクターでも、システムでもなく、この約束である。プレイヤーを従いたくさせるような、魅力的な約束を持っているのが、いわゆる神ゲーとなる。


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